アイデアに「正解」があるわけではない

記事
ビジネス・マーケティング
正解、答え、解なんでもいいのですが、そういう正解らしきものになれると、それがないものへ不安があると。

例えば、食べ物でも、「これ食べたら健康を害するかも」なら、食べないのも選べる。でも、「これは大丈夫ですよ」と正解を教えてもらえれば食べる。でも、それでお腹を壊したら?まあ、どうなるかというと、色々考えさせられるわけですよね。別にお腹を食べてくだせってのが主旨ではないですよ(笑)

アイデア、企画、ビジネスなど、不確定要素が強いと思われるものはこの「正解」がないんですね。本当に。嘘じゃないですよ。本当です。といっても、信じてもらえないかもしれない。ただ信じるかどうかでなく、そのように世界はなっているのではないかと、という認識を提示することが僕の精一杯です。というか、それ以上できない。それ以上ってもう洗脳とか、ちょっとヤバいですからね。

なぜ正解があると思うのか?

これはもう慣れですかね。はい。習慣です。慣れとして「これどうなれば正解なの?」と思ったり聞いちゃったりする。正解なんてないといっても、次に「で、正解はどれ?」という(笑)

ここまでいけばコントのようですが、そういう正解探しが普通だと、これ結構きついです。アイデアを出すとか、そういうのはちょっと全力では無理じゃないかと最近思っています。だから無理にそんなことをしなくていいので、たまにはそうすると。つまり、正解がないことを楽しんでみる。それでいいのかなと。大分マイルドになりました(笑)

つまり、自分が正解と正解がないという割合で、バランスを取ればいいと。正解がないと不安で、かつ精神をきたしてない、社会生活をまあ送れているならば、たまには正解ないものを楽しんだらというわけです。

正解がなくても全然いける人はそのままで。ただ、正解がないところで社会生活が営めないならそれは問題なので、また調整してください(笑)何もよりどころがなさすぎるのも僕は無理だと思うので、「正解」なさすぎでもだめかなと。

難しいですが、バランスです。これも正解はないのでこういう言い方になります。面倒くさいって思う人は、アイデアを出すことが相当楽とか思われるのですが、楽しいけど、楽ではないですよ。多分ですけど。

正解がないけど、形にはできる

正解なんかおいておいて、結局自分で考えて動くとして、それは形にできるわけですよ。

例えば八百屋さん作りたいとしましょう。それをやればいいんですよ。あとは、その定義なり、何をもって八百屋なのか。あとはそれで何をしたいのか。それだけです。そこにビジネスとしてーとか、売上がーとか、これくらいの人に届けたいとか、この野菜果物は扱いたい、いや「情報ITなどの八百屋」ですからとかまあ色々いえばいいと。でも、やるんですよね?と。形にしてみてくださいと。

そうやって決めて形にできないことは逆にないと思っていて、時間がかかってもですよ。多分できる。で、それが「成功」とかはおいておいて、これも定義次第です。正解がないってことです。

そして、正解がなくても、別に形にはできる。プロトタイプといってもいいですが、完成形ではなくてもできるわけですよ。完成させてもそれと「正解」は関係ない。

暗中模索のところで人は何か道標が欲しい

つまり、心理としては僕もですが、そういうアイデアを形にするところで正解はない。それだけだと「何をしていいか」途端に迷うわけです。こっちであってるか?間違った方向にいってないかと。

でもそれも分からないのだと、不安です。だから、なんでもいいので道しるべがほしいのかなと。そういう時に出てくるのが「正解」なんだろうなと。

実際には、アイデア=100%不明瞭不明確でなくて、当然現実に見えるような事柄が出てくると。でも、そこに100%はないし、0%も多分ない。0%は完全なる嘘というか、妄想は別にアイデアを発散する場合にはありなので、悪いわけではない。けど、1%~99%というところで、形にしていくのは確率をあげていくことになるんですね。不確定というか、絶対も正解もないので。

よって、分割するしかないと。とはいえ、部分最適解になって、全体が見えないのもまずいと。というところでの、やり取りというか、そういう分からない部分が面白いというのが、醍醐味だと僕は考えています。でないと全然おもしろくないというか、やる意味ないです(笑)

道しるべというのは、正解である必要がないんですね。
つまり、こうなったらお客さんが喜んでくれるとか、こうなったら面白いじゃないですか。というものでいいというか。それもありというか。そういう「正解」ではないものでも動けるということ。それがあることが分からないとやはり、アイデアは正解があるということに引っ張られるのではないかと(実際はないのですが、そう考えてしまうという癖みたいなものですかね)。

これは直せるし、学習で修正可能です。ですがそれをやりたいかは別。人間って面白いですよね。

僕の立場は、そういう中でも何かやりたいという人向けに発想の仕方は教えるし、いい感じでその人が使えるようになればって感じで着地しますね。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す