人から見てブレたと感じてもそれは関係なさそう

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ビジネス・マーケティング
人=ここでは僕ですが、何かサービスや事柄が「ああ、自分を対象してはないんだな」と感じることがあります。よくあるというよりも、長年サービスを使っていると変わるという感じです。

例えば、飲食店でお気に入りの店があるとしましょう。でも、5年くらい通ってたら味が変わった、サービスが変わった、色々なものが変わっていた。当然変わるのはありですよ。そのうえで、自分がお客さんにならないことを悲しく感じると。そういうややネガティブな話です。

クレームを言ってもしょうがないという性質のものです。

では、そういうのを「ブレた」として、変わっているという指摘がどこまで意味があるか。結果論ですが、それで衰退する、お客がいなくなるなら、「失敗」ですが、それによって「人がついて成功しているようにみえる」場合、または本当に「成功している」という場合は、要らぬお世話ですよね(笑)

というわけで、別にうまくいけば何をやってもいいわけではないですが、逆に言えば自分が変えて何か意図をしてそうなったのであるし、狙いがあるならそれを信じてやり切るしかないのでは?というポジティブな話です。

自分が顧客ではないサービスは実はゴマンとある

実際に僕を対象としていないサービスはゴマンとあるわけです。沢山あるということです。

だから、ビジネスにおいても、自分が対象とならない、お客さん扱いされないことを嘆くのもあまり意味がないんですね。ビジネスを仕掛ける側でいえば、選ぶじゃないですか。お客さんをまさに選んでいる。選ばないと意味がないというか、正しい想定する価値が届かないからです。差別という意図ではないわけです。

またビジネスの相談というところでは、明らかに自分がお客ではない(そのお客さんのサービスのエンドユーザー対象ではない)こともあるわけです。それが普通といっていい。僕は欲しくはないし、対象ではない。そういう時どうするか?ですが、シンプルにその想定されるお客さんの気持ちになったり、考えるということになりますよね。

平たくいえば、自分が顧客ではないなんて普通なんだからそれを前提として、むしろ逆に「自分が顧客対象ならラッキー」くらいですよね。いやラッキーというか、バイアスが掛かってやりづらいかもしれない(笑)ここは捉え方次第ですよね。

変わったな、違ったな、うまくいかないだろうな?というサービスはどうなったか?

これはリアルとかネットとか関係なくて、僕が勝手に思っているだけですし、どうこういうことはないです。要らぬお世話ですよね。

それで、そういうところで見ていって、「あー変わったな」「やり方変えたな」「お客さん自体を変えたな」とか色々あるわけですよ。「サービス自体を少し変えてるか」とかも。良い悪いは問わずですよ。

そういう時、僕の目利きが優れていると全然思っていなくて、例えばあるお店は難しいだろうと思ったら繁盛していますし(笑)うまくいかないのにかなり粘っているところもある(そのように見えるなど)。うまくいくというところがすぐ潰れてしまったり、持たないところもある(笑)

サービスも、最初と変わっていったけどそれでは僕は気に入らないがビジネスとしては成立する。なんてもののほうが多い。多くはそれすら残り得ない。応援したいものが、どんどん消えていく。難しいなという局面を変えられない、それを実力というならば実力不足というだけなんでしょうね。僕が偉そうにいう話でもなく、事業者側もわかっているし、分からなくても結果が出るので受け入れるしかないだけですよね。僕も同様に思うわけです。

ということは、当てにならないというだけなんですね。もちろん、先達のアドバイスなり、考え方なり学ぶことは学んだほうがいいでしょうが、結局最終的にどうなるかって結構分からないということですね。その分からなさ100%は僕はおすすめしませんが、半分は多くても、3割くらいそういう信念みたいなものがないと、なんか面白くないなと(それは僕がお客ではないとか、サービス変わったとか、そういうのでも、そうやったほうがいいならやるべきということです。そこに自分がいないことは一瞬悲しいかもしれないですが、でもそこって事業者の選別ですからね。それだけです。)。

ブレたと感じてもスルーでいこう

というわけで、自分が他人様のサービスを見てどう思うか。非常にどうでもいいと言えると。一方で僕はそういう観察、仮説、検証はあったほうがいいので、その「どうでもいいこと」はやり続けたほうが良いと思うんですね。それが立派なこととも思えないということです。とはいえ下世話でもないというか。

そのうえで、ブレたなというのも当てにならないわけです。では、意味がないのかというと、全くないわけではない(笑)少なくともブレたかどうかをギャンブルしているわけでないので、考えますよね。リサーチするし、相手を知る。とても意味がある。そういう小さな断片みたいなものを集めるのが価値とすら言える。

逆にいえば、自分何かをやる、お客を変える、違うことをする、今までと変える。そういうと、誰かから「ブレた」と思われるかもしれないと。でも、それって思われてもいいというか、余計なお世話なんですよね。同じことが言える。外野というわけですね。

つまり、自分が他人に対して思ってもいいけど言うことはないと。そういうのがスルー精神だとしましょう。同様に、自分がやっていることに対しての他人からの物言いも同様でスルーできるわけです。

留意としては、意見を全部聞かないとか、己の道を行くみたいなことでなく、さじ加減ではあると。ただ、これ極論ですが、事業者はお客さんではないし、お客さんも事業者ではない。立場の違いや事情が違うのがある。そこは明確な違いですから。そういう違いがあるから「物言い」があるのであって、立場が同じならまああまりいわないか、言えないかもしれないと。

結局は、ある程度やって駄目なら変えて。変えたところを突かれて「ブレた」というのもほぼなくて。なぜなら多くはそこまで注目を浴びないからです(笑)というわけで、スルー以前にまず量を投下してやれるか。そこなんじゃないかとも言えそうですね。
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