自分でアイデアが出やすい場を作る

記事
ビジネス・マーケティング
今回はややマインドセット的なネタです。
とはいえ、マインドセットや精神的な話もですが、トレーニング可能と考えていますし、その前提で捉えていったほうがまあ悪いことも良いことに変えやすい気がします。

結論としては、アイデアが出やすい場って何か?そこを考えつつ、
最終的には、自分でこうするとアイデアが出やすいよな、という場を作ること。

これを目指してやってしまうのが良いかなという話です。

ありがちなミスとして「ぼーっとしてると」アイデアが出る話

まず一点だけ、ありがちな誤解ですね、それについて考えてみます。

アイデアが出る人で散見されるアドバイス?として、
「ぼーっとしていたりするとアイデアが出るよ」というのがあります。

これは僕も事実だと思うので、「ぼーっとする」ことはオススメしています。ただ、これを初学者や経験値が浅い人が取り入れる、一番まずいのは、何も考えていないのにぼーっとするということです。

笑い話と思える人はそれでいいのですが、文字通り、杓子定規ということですが、そのまま受け入れて「そこだけ」見るとこうなります。
これは当然このようなアイデアに関する話だけでなく、全ておいて言えそうですが、ここでの留意点としてはこうなります。

何か言われたりするような具体的な行動、ノウハウはその前後や省略されていることに留意する

ということですね。アイデアも、また僕がここで書いていることも全く同じで、これは何か省略されているのではないかなど批判的に読んでもらったほうが嬉しいです。嘘をつく意図はないのですが、嘘になっていることもなきにしもあらずなわけです。間違えるわけですね。僕もです。

ある程度考えてから、時間をわざと割いてぼーっとしてみる

本来はこちらです。
つまり、何か考える、アイデアの考え方でも示したように、インプット+思考があって、初めてアイデアは生まれます。

このあたり、気になる方は先回の記事から追ってみてください。
このインプットとか思考とかを何もせず、ただぼーっとしてみるとすると、それはただの怠惰であり、考えていない人となります。またこの考え方ですと、何か意識的に主体的に生み出すということをしないというまさにマインドセットがあるので、その感覚でアイデアを生み出すのはやはり厳しいと感じています。

そんな人がいるのか?ということですが、おそらくいらっしゃるはずです。
僕がアイデアを出すということを仕事としてはじめた時に最も恐ていたのはそういう方でした。つまり、自分では何も思考しないが、こちらには非常に要求が高い。想定通りいらっしゃった感はあるのですが、それでもなおこの前提を「強制」はないものの、発信したり、伝えていく、またはやり取りでフィルタリングすることで、まあほぼなくなったのではないかなと思います。

とはいえ、アイデアを生み出すところで、それをビジネスにすると楽しそうな雰囲気は分かります。そう客観的(ここでは他人から僕がそう見えるということ)に見られるものだなと。ただ、やっていることはめちゃくちゃ地味です。それがアイデアの思考というか、思考に近いといっていい。

そうやって考えた人や考えてから、ぼーっとしてくださいと。散歩や休憩、ゲームでもなんでもいいんですね。それをやってアイデアという果実が得られるのは、当然考えた人がということです。

ちなみに、くどいかもしれませんが、思考=頭をウンウン唸っているでなく、遊んでいても思考することも普通にありますから、見た目では全然分からないんですね。正確には見た目で感じづらいというわけです。

イメージとしては、以下の感じです。
思考は見えない.png
上の見える可視化部分、水面上ってことですが、文字通り「散歩している」とか「休んでいる」とか「遊んでいる」(ようにみえるも含めて)は見えるんですね。他人から見てですよ。

しかし、水面下のあらゆる思考的なことは見えないですよね。他人からですね。しかし、本人=僕=アイデアを出す人からみて、可視化している部分は遊んでいるが、不可視部分は思考しているんだがーとなって、ギャップが生じます。

これはアイデアだけでなく、楽器の練習とか、算数の問題がうまく解けないとか、常に自分と他人とのギャップというか、思考が「見えない」ことで起こりえます。だから人はここでコミュニケーションとして、何を感じたか?を言葉をはじめとした手段で行うことになるのだなと思います。という意味で言語化で自分の気持を可視化する、伝えるのは出来て悪いことはないのかもしれないなあーくらいで捉えています。

水面下で考えているので水面上で出せるアイデアがある

先のイメージでは、水面上はアイデアではないですが、結局置き換えればこのようなイメージにもなりえます。
アイデアは水面上にある.png
単に休憩などがアイデアに変わっただけです。
ぱっとこれだけみると、「休んだらアイデアになった」と喜びたいですが、実際は白鳥よろしく水面下でもがくから「優雅にすいー」っと移動しているようにみえるだけなんですね。

もちろん、思考して考えて休憩して出てくるアイデアを出すというところで、このバランスが悪いと、考えているが出ないとか、考えなさすぎて出ないとか、色々な状態は人によってありそうです。それはもう自分でなんとかして把握していくしくないんですが、またこういうネタも考えてみたいと思います。

最後に、この考えた→アイデアが出るを、同じようにイメージで示して終わりたいと思います。

思考やアイデアは見えづらい.png
アイデアを出すには矢印1と書かれた動きが必須です。当然何もないところから生まれないので、アイデアはインプットが必須となるわけですね。

そして、そこで休息とか遊びとかしていると、人から「遊んでいるよね」と言われるだけですが(笑)本人は必死にそのアイデアの不可視→可視をしているだけなんですね。ちなみにここでイラッとしたり、ムカっとしたりする人は、修行が足りないとして、心穏やかにできるようにしていかないといけないのでは?と思ったりします。とはいえ人はそんなに出来ているわけではないので(笑)多くの物言いは嫉妬です。つまり、「なんで遊んでいるだけなのにアイデアが生まれるんだよ」って認識です。この図を見せるのもありでしょう(笑)

そして矢印2です。そこからアイデアとして出てくると。ここでやっとアイデアマン本人はやっと出たとなります。つまり本人主観では、「考えてやっとこれか」という物足りなさすら覚えているわけです。氷山はめちゃくちゃ大きいのに、一部しかないからですね。ちなみに僕はこれが妥当と思っていて、一定程度考えないと出ないので、こういう形になるんですね。

というわけで、アイデアが出やすい場とは、前提として考えた人が、それだけで考えて終わりでなく、休んだり遊んだり意識的に休息的なことをすると「アイデアが出る」と。それならば、そういう休息的なことをしてないなら「したほうがいい」ですし、そもそも思考が足りないとかインプットが足りないならそれをしたほうがいいと。そういった行為や取り組みが「アイデアが出やすい場」を作ることになるかなと、僕は考えています。

今回は以上です。


サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す