【AIと人間の仕事】価値・責任について

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レーシングカーが開発されても陸上競技がなくならない理由

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まずは価値の話から。

AIや機械は、あらゆる機能において人間を凌駕しています。もし、速く移動したい時、人間の足では時速50キロのスピードすら出すことができません。しかし、レーシングカーを使えば時速300キロのスピードで移動することだって可能です。

 ところが、速く移動する能力では機械に勝つことができないのに、いまも人間は陸上競技で足の速さを競い合っています。ただスピードという“現象”だけを求めるのであれば、レーシングカーにはとても敵わないと分かった時点で、人間は自身の足の速さに価値を感じなくなり競い合うことを止めるはずです。

 しかし、いまも陸上選手たちが足の速さを追求し、世界陸上やオリンピックなどで競い合う姿が人々の感動を誘うのは、人間が人間としての限界に挑戦し、能力を高めようとするからこそ生まれる価値があるからに他なりません。🌟機械を使うことで生まれるスピードの価値と、人間が自らの足で生み出すスピードの価値は別なのです

将棋や囲碁でもいまや人間よりAIの方が強くなりました。しかしながら、プロ棋士という仕事はなくなっていません。プロ棋士同士が見せてくれる熱戦はいまも変わらず人々を引きつけ、藤井聡太六冠のようなスーパースターが生まれています。それもまた、人間と人間の勝負だからこそ生み出される価値があるからに他なりません。

 🔴このように、担い手が人間であること自体に価値がある仕事は人間自身にしか行うことができず、AIや機械で代替することは不可能なのです

 身近な事例では、顧客におわびする業務も挙げられます。怒り心頭になっているところに送られてきたおわびの文面が、チャットボットによる自動送信だったとしたら顧客の怒りは収まるでしょうか。その文言がどれだけ丁寧だったとしても、送り手が人間ではないと判明したら、顧客は「軽んじられているのか!」と感じて、却って火に油を注ぐようなことになりかねません。

AIは仕事の責任を取れない

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仕事における責任について。生成AIの登場は、AIがこれまで人間にしか担えなかった高度なタスクでも代替できる可能性を示しました。いまは個人情報の不適切利用や著作権の侵害といった運用上のデリケートな問題が浮かび上がっていますが、ルールが整備されるとともに、AIはさらに職場の中に浸透していくと考えられます。

 そして、やがて仕事上の意思決定に重大な影響を与えるようになりかねません。かつて、ドラマ『ハケンの品格』では、人員削減対象者のリストを提示するAIが波紋を呼ぶ様子が描かれました。AIの急激な発達を考えると、実際にこのような使われ方がされることもありえそうです。

しかし、もしAIが提示した通りに人員削減を行った結果、会社の業績がさらに悪化したり、倒産してしまったりしたらどうなるのでしょうか。「それはAIがやったことだから」と、AIに責任を取らせるなんてことはできません。AIが提示した案を実行に移す決定を下したのは人間です。

 AIがどれだけ優秀であったとしても、事故が起きるなど何らかの不具合が生じてしまう可能性は常につきまといます。その際に「AIがやったことだから」で済まされるとしたら、とんでもない無責任社会です。AIに仕事の責任はとれないことを前提に、AIが提示した意見を採用する判断を下した人間や、AIが誤作動したのであればAIを作成した人間など、責任を取るという仕事は、必ず人間が行わなければなりません。

終わりに

いかがだっだでしょうか?
「実務」「価値」「責任」における境界線を押さえた上で、人間はAIや機械を適切に利用していくための知恵を磨く必要があります。とはいえ、特にAIの発達には脅威さえ感じている人間が少なくないことも事実です。

「お互いの強みを活かし、相互に補完する関係を築くことが重要」であるのは、人間同士の関係構築と同じです。ところが人間は、道具であるはずのAIや機械の発達に、期待だけではなく脅威も感じてしまいます。

 お互いの強みを活かして相互に補完する関係を築きたいのであれば、AIや機械を道具と見なして支配しようとするのではなく、共に働く仲間と捉え直すことから始める必要があるのかもしれません。

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