ネットの情報を見ない母

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母のガンが発覚した時、一番落ち込んでしまったのは兄でした。
告知を受けた母は、意外と気丈振舞ってくれていたので、周囲が動揺せずに過ごせていたように思います。
母の口癖はこうでした。
「なるようにしかならない」
父は、ガンへの治療は一切しませんでした。余命1年半といわれていましたが、治療をしなかったせいか、2年と長生きしてくれました。
しかも、手術をしなかったので大きなリスクを負うことなく、また、痛みをあまり感じることなく闘病生活を送ることができたように思います。
しかし、母は違いました。
本当は、父に手術をしてもっと長生きしてもらいたかったという後悔があったので、自分は子供たちに悲しませたくないという願望から、子宮の全摘出という大きな手術を決意してくれました。
母の余命は、半年でした。
すでに、肺や肝臓に転移していたので、化学療法を併用しての治療がすぐに始められました。
手術の当日は、母はとても緊張していました。
手術室に入る前に、みんなで手を握って入っていきました。
手術は当初7時間と予定されていましたが、実際は10時間と3時間もオーバーしての大手術となりました。
母の子宮のガンは、腸などにも癒着をしており、なかなか癒着の部分が取れなくて長くかかっていたようです。
65歳の母の体には、かなりリスクがあったにも関わらず、先生のおかげ様で、無事に手術を終えることができました。
手術室から帰ってくる母は、意識が朦朧としており、とても衰弱していました。その姿を見るだけで、本当に苦しくなりました。
頑張ったんだね!と手を握ることができた時、母の手がとても冷たくて涙が出てきました。
安心したのは束の間。
その後、麻酔の副作用なのか、39度の発熱に繰り返す嘔吐。
何も食べていないから、吐くものがなくとても辛い時間でした。
しかし、幸いなことに翌朝には熱も下がり、水も自力で飲めるようになり、生命力の強さに感動したのを覚えています。
母は、とても気丈でした。
「母は強し」という言葉がありますが、本当にそうですね。
入院から退院すると、母はとても元気になりました。
化学療法も、副作用が少なく元気に過ごせる時間が増えました。
ただ、髪の毛が抜けるという副作用だけは、平等に起こるようで、母もきれいに抜けてしまったときは、やはりショックを隠し切れませんでした。
しかし、人間は本当に強いです。
気分が下がるどころか、母は、ウィッグを購入しておしゃれを楽しむようになりました。
父が亡くなって4年後に、今度は自分が癌になって。
子供の私からすると、どうしてこんなに辛いことが起こるのか...と神様を恨んだこともありましたが、母がいつも気丈でいてくれたおかげで、家族が落ち込まずに過ごすことができました。
母は、気丈にしないと!と気張っていたのではなく、本当に
「なるようになる」と信じていたんだと思います。
抗ガン治療も、とてもよく作用してくれました。
肺と肝臓のガンが、小さくなっていきました。
それと同時に、母の体調もどんどん良くなっていきました。
母は、ネットの情報を一切見ない人でした。
父と真逆の人でした。
人の意見は、まったく聞かない頑固な一面もある人だったので、それが功を奏したのかもしれません。
多少の癌への恐怖はあったと思いますが、主治医の先生をすごく信頼していたので、先生に託してあるから大丈夫!っと、本当に信じていました。
そして、好きな食べ物を存分に食べて過ごしました。
癌に良くない!なんていう食べ物も、平気で幸せそうに食べていました。
ネットの情報は、時にとても役に立ちます。
しかし、時に毒になることもあります。
私は、母の姿を見て、他の情報を自分の中に入れない!という確固たる意志を持つのは、自分の体を守ることができる!という確信に繋がりました。
3年の月日が流れ...
幸せだった日々は、そう長くは続きませんでした。

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