Aoyama Flower Market 誕生秘話

記事
ビジネス・マーケティング
(今日のテーマ)

人との出会いを活かせばチャンスが生まれる、
工夫次第でゼロスタートでも
起業でき成功できることを
実話を元にお伝えします。


Aoyama Flower Marketが誕生した頃の
お話しをさせていただきます。

始めにひとつお断りしておきますが、
Aoyama Flower Marketという名称は
商標(店舗名)でして、
経営している会社の正式な社名は
株式会社パーク・コーポレーションといいます。


➀ 経験も計画もゼロで会社設立


現社長のと数奇な運命の出会いをして
一緒に起業することになった私は
勤めを辞めてから
会社設立の準備に
奔走する毎日でした。


ようやく会社設立の下準備が整い、
ニューヨークから帰国する社長を

出迎えに、成田へ向かったのは
昭和63年(1988年)11月末の事でした。


成田に到着した社長に
久しぶりの日本を堪能してもらおうと、
その晩は六本木の料亭篁で
帰国祝いの夕食会を企画しました。


肝心の事業の方は
まだ何をやるかも決まっていない
段階でしたが、
期待だけはたっぷりあったので
大した不安もなく
前途にワクワクしながら
日本酒と日本料理を堪能したのを
昨日の事のように思い出します。


それから数日後、
私と社長は泊りがけで伊豆山に行き
旅館蓬莱(現:星野界リゾート熱海)で
策を練ることにしました。


ところが開いたノートは
いつまでたっても空白のままで、
わずかに「人・物・金」の
三文字を記入しただけで
時間だけが空しく過ぎていきました。


要するに人と物と金を結びつければ
商売になるという
当たり前のことなのですが、
どうそれを具体化するかのプランが
まったく進展しなかったのです。


取りあえずは何をやるにしても
事務所は必要だということになり、
東京に戻ってから不動産屋巡りを始め
南青山にワンルームマンションを
借りることにしました。

その頃には
ニューヨークからの並行輸入と、
人脈クラブでもやろうということになっていて、
会社設立の登記を申請したのが
社長の帰国から2週間くらいたった頃でした。

やりたいことの大筋は決まりましたが
具体的な落とし込みまではできていなかったため、
登記申請書の会社の目的の欄はあれもこれもと
考えられる仕事を羅列しただけなのです。


担当してくれた司法書士から
「一体何をやる会社かさっぱりわかりませんね」と
言われてしまい、
その言葉で急に襲ってきた不安を押し殺しながら
笑って誤魔化したことも今では良い思い出です。


そうこうしてなんとか体裁を整え、
予定通り1988年(昭和63年)12月24日に
「株式会社パーク・コーポレーション」は
設立できました。



会社設立から2週間ほど経った1989年の新年早々、
昭和天皇が崩御して
年号は平成と改まりましたが
世の中はバブルの真っただ中で、
東京の街は大変な人出でにぎわいで
タクシーの空車を探すのも

一苦労という時代でした。



一方パーク・コーポレーションは
売上が月の家賃にも届かないという
細々とした商いだったのです。

➁ 苦し紛れに花屋に転向


並行輸入も人脈クラブもなかなか軌道に乗らず、
会社設立1周年を目前にした頃には
会社存続も危うくなって四苦八苦の毎日でした。


そんなある日、突然社長が
「花の商売をやってみよう」と言い出しました。

花の商売と言っても二人とも
経験があるわけではなく
なんの目算があったわけでもありませんでした。

丁度その頃は大阪の花博の前の年だったので、
たまたま日経新聞に花き業界は
1兆円産業になるという経済予測記事が
出ていたのを目にしたからそう思っただけです。


でもこれがよく言われる
経営者の閃きだと思います。

この当時の花屋は
昔ながらの小規模店舗がほとんどだったので、
経理も管理もいい加減なドンブリ勘定で
ロスばかり出していましたから、
仕入れ値の何倍も値付けしないと
やっていけなかったので
花は原価に比べて非常に高い料金設定でした。

それなら管理を徹底して
新鮮な花をどこよりも安く提供すれば
お客さんは必ず付いてくれると社長が言い出し、
この時点では安売りの花屋を
目指そうということなりました。

とは言ってもマンションの3階の事務所では
店舗にするわけにはいかず、
「新鮮な花を安くお届けします」というような
内容の手書きのちらしを作ってコピーし、
手当たり次第に訪問と電話で営業しました。

ポスティングもしました。

いずれはヨーロッパのマルシェ感覚の花屋を
出したいという社長の意向で
Aoyama Flower Marketという商標に
なったのです。

1990年の12月も暮れようとしていたこの時、
Aoyama Flower Marketは誕生しました。


③ 金がなくても一等地に店を出せた種明かし

それからしばらくは
店のない辛さに随分苦労しましたが、
ある日突然
「店が出せる」と叫びながら
社長が帰ってきました。

それも表参道交差点近くで
花屋をやれると言うのです。

よくよく話を聞いてみると、
テナントビルの地下に
喫煙スペースが2坪ほどあったので、
ビルのオーナーに
「花屋にビルの装飾を発注したら
月に何十万もかかるけど、
あの喫煙スペースで花屋をやらせれば
タダでビルのイメージが良くなる。」と
持ち掛けて借りることに成功したのでした。


店と言っても地階の一角にある
喫煙スペースの転用ですから水道すらなく、
水回りは大きなポリバケツと台車を購入して
エレベーターを使い、
一階バックヤードの水道から運んだり、
花の陳列棚は東急ハンズや
ホームセンターで煉瓦と板を買ってきて
なんとか手作りで体裁を整えたのです。

当然広告宣伝費を捻出する余裕もありませんから、
手書きのちらしをコピーして
新聞販売店に持ち込んで
折り込み広告をお願いしました。


そしていよいよ開店の前夜、
社長と二人で飲みに行き、
「いくら売れるだろう?5万くらいなるといいね。」と
話し合った時の事が今でも鮮明に心に浮かびます。


④ 開店初日に長蛇の列

平成4年(1992年)3月も終わりに近い頃、
Aoyama flower Market の
記念すべき一号店の南青山本店オープンの朝、
出勤していくと20人くらいのお客様が並んでいて、
新聞折り込みの手書きのちらしを手に
開店を待っているという
信じられないような光景に度肝を抜きました。


大急ぎで開店準備をして店を開けると同時に
次々にお客様がいらしてくださり、
前日に仕入れておいた花は
夕方までに全部売り切れてしまい、
売上は初日だけで15万以上になりました。

無名の花屋が新規開店早々
どうしてそんなに売れたのかと言いますと、
表参道駅の真上という立地の良さに加え、
値付けが相場よりかなり安かったことが
大きな要因だと思います。

これなら借金もみるみるうちに返せると
ホットとしたのもつかの間で、
これほど売れているのに
手元に現金が残らないとう現実に直面しました。

この時期はすべてのお客様に
ご満足いただけるようにというコンセプトで、
売れ筋のふつうの花から
およそ需要が少ないレアな花に至るまで、
大量の花で店内を花一杯にしていたのです。

そのためロスが莫大で原価率が異常に高く
これではもう商売にならないどころか
道楽を通り越してボランティアです。
.
早速原価率を徹底的に管理にするということで
毎日原価率表とロス管理ノートを

作成することにし、
徐々に改善していきました。

また社長の発案で特売日を設けて
毎月7日8日・17日18日・27日28日は
8と7がつくので花の日ということで
バラとチューリップは
10本870円(はな価格)で売って
売上と客数を増やすことに成功しました。


⑤ 天から降ってきたようなキセキの集客

そんなある日、店の前を通りかかった新聞社の
女性記者が来店して
いきなり取材ということになり、
東京新聞の生活欄に
「花の値下げに踏み切って家庭への普及に挑む
新感覚の花屋誕生」というような内容で
大きく報じられました。

するとその記事をきっかけに
急ごしらえでやっと開店した
Aoyama Flower Marketは一躍有名になり、
ますますお客様の数が増して行ったのです。

そうして迎えた最初の年末も
予想以上の売上で新年を迎えましたが、
東京新聞を筆頭にテレビ東京や日経新聞などで
何度かマスコミに取り上げられた事で、
丸井から自由が丘に出店しないかという
お話をいただきました。

一号店開店から1年も経たないうちに
その後の多店舗展開のきっかけとなった
二号店の出店がこのとき早々に決まったのです。


(「Aoyama  Flower Market 急成長裏話」へ続く)
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