鬱の回復期で感じたこと

記事
コラム
今回も引き続き双極性障害の体験談について書かせていただきます。

双極性障害とは、気分の波が激しくなってしまう脳の病気のことで、躁状態の時期と鬱状態の時期が繰り返されていきます。

私が躁状態に陥った時は、休憩なんて取らずに何時間でも活動し続けられるようになりました。性格も微妙に変わってしまい、どちらかというと消極的なタイプだったのですが、常に何かに対してガツガツとするようになってしまいました。また、周りにとっても自分にとってもこれが一番厄介だったのですが、ありもしない妄想や迷信、思い込みを信じてしまうようになりました、例えば、夢で見た光景を現実のものだと思い込んでしまい、その光景を周りに伝え回っていたりしました。まったく、困ったものですね。

反対に鬱状態に陥ると、今度は体が動かなくなってしまいました。それに連動するかのように、心も凍結してしまって、何を体験してもまったく心が揺り動かなくなってしまいました。無感情が半永久的に続くだけなら、まだ良かったのかも知れませんが、何のきっかけもなく深い悲しみに陥ってしまう時も多々ありました。例えば、家でテレビをボーッと観ているだけなのに、急に悲しみが心を襲ってきてテレビの内容が全く頭に入ってこなくなった時もありました。テレビもまともに観れないのだから、本の内容なんてより一層頭に入ってきません。ひどい時は、小学生でもできるくらいの簡単な文章の読み書きすらできなくなってしまいました。

そんな激しい躁状態と鬱状態を経て、脳は回復期に突入していきました。長期間に及んだ休息期間がやっと功を奏してきたのです。しかし、回復期は回復期で、大変なことが多かったような気がします。

なによりも、この時期は体調の落差が激しかった記憶があります。普通に体を動かせる日があったかと思えば、その翌日にパタリと充電が切れて動けなくなってしまう、なんてことはザラにありました。従って、明日の自分のことも分からないので、それはそれで不安な時期でした。

文章の読み書き能力は元に戻りました。考えも普通に働くようになって、簡単な作業なら滞りなくできるようになっていきました。他者とのコミュニケーションも問題なくできるようになり、前ほど対人関係にビクビクしなくて済むようになりました。

そして、電車に乗れるようにもなりました。鬱症状が強かった時期は、電車内の密閉された空間が苦しくて、電車に乗ることができませんでした。このようにして、回復期になると嬉しいことを連続して経験するようになりました。

精神状態が回復し出したのは、ある年の9月からでした。そして、10月にはかなり良くなっていきました。しかし、11月から再び精神状態は下降していき、12月には再びひきこもりがちになってしまいました。このように、鬱の回復期は長期スパンで押し寄せる波の中を泳ぎ回るような感覚でした。そんな中で、溺れて力尽きないように必死になっていました。

こうやって振り返ると、鬱の回復期はなかなか特殊です。躁状態だった時期とも、鬱状態だった時期とも違い、もちろん健康だった時期ともまったく違います。本当に、「溺れないように泳ぎ回る」という表現がぴったりな時期でした。

体調がちょっと良くなり始めた頃、心療内科に行ったことがありました。それまでは、受診することも不安で怖くて、動き出すことができなかったのですが、体調が少し良くなってきたことから、心療内科で診てもらう決心が付いたのでした。しかし、その時に診てもらった先生とは、相性が良いとは感じませんでした。こちら側の一方的な感覚だったのかも知れませんが、こちらの想いを汲み取ってくれていないようで、本当に教えて欲しい情報をあえて隠しているような振る舞いを感じ取ってしまいました。私の病状に対する説明も、ほぼありませんでした。

「あぁ、この人じゃ駄目だ」
そう思った私は、その心療内科に再び行くことはありませんでした。そして、この出来事がきっかけで次のような偏屈な考えを持つようになってしまいました。
「医療機関に頼るのはカウンセリングだけにして、あとは自力で鬱を治すようにしよう」
いま思えば、この決意は大間違いでした。

回復期に入ってからは、大学院の課題に取り組めるようになったので、卒業のために必死になっていて、そうしているうちに月日は流れていきました。

この続きは購入すると読めるようになります。
残り:1,069文字
鬱の回復期で感じたこと 記事
コラム
500円
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す