雑感〜なんとなく最近、考えていること〜

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いつもは双極性障害やうつ病の実体験をブログに書いているのですが、今回のブログの内容はそれとは少し異なります。そして、テーマは決まっていません。最近考えていることを思いつくままに書いていきたいと思います。

まず、双極性障害についてのブログを書いて感じたのは、その意味についてです。自分はなんのためにこのブログを書いたのか? 他にやるべきことがたくさんあるはずなのに、ブログではなくて他のことに時間を割いても良いはずなのに、どうしてこの10日間で何本かの記事を書き上げることができたのか? という疑問が湧き上がったのです。

その答えは、「出会い」を求めるようになったからだと思います。「出会い」を「繋がり」と言い換えても良いでしょう。なんだか、気取った言い回しで小っ恥ずかしい感じもしますが…。

双極性障害についてのブログをこうして世間に公表することで、何かしらの新しい「出会い」が生まれるのではないか。そんな期待が生まれたことが、ブログを書き始めたきっかけなのでした。

では、その結果はどうだったのでしょう? 期待通り、ブログを書くことで「出会い」は生まれたのでしょうか? そう問われると、うーん、答えに困ってしまいます。というのも、直接的な繋がりはまだ生まれていないからです。ただ、繋がりが全く生まれていないわけでもありません。自分の記事を後から確かめた時に、「いいね」の数が増えていると凄く嬉しい気持ちになります。

このようなブログ公開に限らず、人は新しい人との出会いのために何か行動を起こすのだと思います。経済活動をするのも、究極的には人と人が繋がりを持つためです。コミュニティが生まれ、そこから文化が生まれるのも、人と人とが繋がろうとしたからです。自分の殻に閉じこもる行為だって、最終的には心のエネルギーを蓄えて、新しい人との出会いを産みたいから行うのです。

と、ここまで持論を展開してみました。皆さんはどうお考えでしょうか? これが、最近考えていることの一つです。

話題を変えましょう。

ある精神科医のYouTubeを観ていて知ったのですが、双極性障害を持っている患者は、哲学的なことを考えたり議論したりする傾向があるそうです。私も双極性障害を持っているのですが、そう言われると当たっているような気がします。猛烈に興味があるわけでもないのですが、普通の人よりは興味が強いような気がします。

20歳頃は「哲学入門」なる新書を読破しようと頑張っていました。しかし、内容が難しくて途中で挫折してしまったことを覚えています。

子供の頃から空想を働かせることが好きでした。これも、哲学的な思考の一つなのかも知れませんね。

5歳の頃、家の鏡や保育所の鏡をジッと見つめていました。そして、自分の顔を散々眺めた後、今度は兄弟の顔や友達の顔を眺めました。
「どうしてそれぞれの人で顔が異なるのだろう?」
当時の私にとって、これは凄く不思議なことでした。また、
「鏡に映る自分の顔は周りの皆んなの眼にも同じように映っているのだろうか?」
なんてことも考えるようになりました。さらに、そのような考えが進んだ結果、
「自分が感じる赤色と、皆んなが感じる赤色は同じ色をしているのだろうか?」
ということまで考えるようになりました。

そのような空想は今でも好きでやっています。大学では量子力学を主に勉強していたのですが、この分野も少し哲学的と言って良いものでした。量子力学の世界では、物体は誰かが観測するまで存在しないことになっています。誰かが空に浮かんでいる月を見るまで、月は存在しないのです。

哲学的な思想が好きだった私が、少し哲学的な要素を含んでいる学問を学ぶようになったのは、何かの必然だったのかも知れません。

もし、この記事を読んでいる方の中に双極性障害をお持ちの方がいるのなら、お聞きしてみたいです。
「哲学的な思索はお好きですか?」

話を変えましょう。
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