大変だ、大変だという中で、今まで悩んで悩んで解決できなかった問題に変化が表れた。
「オンライン授業が広がると、不登校という言葉が無くなった」
「リモートワークが基本になり、障害のある人が就労しやすくなる」
「オンライン授業で新しい講師の授業が受けれるようになった」
勿論そんな単純なものではない。
学校に行かない、いけない不登校は言葉だけの問題じゃない。
障害者の問題は職場に行けないことだけじゃない。
オンライン授業で内容は本当に理解できるのか。
など
今までの直線状で考えればまだまだ疑問に思うこともある。
でも、リモートワークやオンライン授業という技術を使うことで新しい世界が見えてきた。それは今まで全く無かったものではなく、視点を変えて見えてきた世界だ。
オンライン授業で受けたい授業が選択できるようになった。 学校の先生以外の話を聴く機会が物理的に可能になり、吸収できる知識の幅が広がる。
「不登校」は、学校に行く理由をもう一度深く考える機会になる。知識の吸収だけならオンラインである程度は吸収できる。 だから、行けない理由を排除するだけでなく、学校に行く意味をもう一度深く考える。
障害者労働についても思うことがある。
健常者を障害者が抜いた時、健常者は障害者を何と呼ぶのか?
身体が不自由で動けなくても、動く必要がなければ能力はさらに発揮される可能性もある。
私のような講演、研修を行う仕事でも見えてくる世界がある。
今までも録画やWEBを使って見せる研修はあった。 でもそれは生の講演や研修の補完的な役割で、その場に行けない人を対象としていた。
これからは、始めから来ない人を対象にしたものが魅力的な商品になる。「来なくても同じ体験が出来る」のではなく、「行かない新しい体験」だ。
「やっぱり生の舞台(講演)がいい」ではなく、始めから映画の様に講演を創ることだ。 最新の5Gを使えばもっともっと新しい世界が創り出せそうな気がする。 ちょうど映画も講演も時間は同じくらいだ。
実際に足を運ぶのは特別なときと考えればいい。
ちょうど普段は電子マネーで、大切な人には現金を贈るようなものだ。
オンライン授業やリモートワークから話が飛んでしまった。
でも、こういう発想が大切だと思う。
世の中の変化に対して自分の世界でどういう可能性が広がるのか、
何かもっと出来ないか
そんなことをいつも考えていきたい。
そうすると何だかワクワクする。