気づき・自分発見「右の頬を打たれたら」

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こんにちは。ライフカウンセラーのりんです。
日々の生活の中で「気づいてよかった」「困ってる人にはぜひ伝えたい」ことを備忘録がてら書いていこうと思います。

今日は聖書に書かれていた「右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出せ」について。

子どものクラスに元気なお友達がいて、ぶつかって怪我をするといったことが増えてきました。外圧に対しては比較的おとなしい子なんですが、慣れない反撃に出て怪我をさせてもいけないと、ふとこの言葉を引用してしまったのですね。「右の頬をたたかれたら、左の頬もたたかれなさい」って言ったえらい人がいるのよと。

一般に、「右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出せ」の解釈は、
慈悲と許しの宗教であるキリスト教の教えとして、「汝の敵を愛せ」「仕返しをするな」「暴力に暴力で応えるな」ではないかと言われています。
子どものころは、まったく意味がわかりませんでしたね。右の頬を打たれたらまず逃げないとと思いました。子どもには、とにかく左の頬は出さなくてもいいけど、今なんか叩かれたかな、なんでかなと現状認識するようには伝えています。

この、キリスト教の許しですね。年齢なのか立場なのか、心理学の勉強をするようになったからなのか、遅いですがやっとわかってきたような気がします。
私の場合はある日「はっ」と気づいたわけではないですね。

私の今の「右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出せ」についての考え方、対応方法は以下の通りです。

・叩かれたのは、意図的か誤解か事故かわからないので様子を見る
・叩いた側の気持ちや状況を聞いてみたい、何か理由があるのかも
・叩き返しても根本解決には至らない
・誰かと敵対する意志はないことを表明したい
・叩かれるのが好きではないことを意思表示する

実際には、そんな余裕はないとは思いますが、ただ叩かれっぱなしという訳ではなく、あくまでも自分の意思表示はしたいところです。

なにかのトラブルの当事者になった場合は、とにかく余裕がありません。怒りや悲しみ、驚きといった感情が襲ってきてしまい、冷静に現状認識なんてできないことが多いです。とっさに行動に出てしまうことも多いでしょう。

少しでも時間的余裕がある場合は、やはり第三者に話を聞いてもらって、状況の理解に努めてみてください。違った視点で物事を考えることで、思いもよらない解決方法がでてくることもあります。
そういった観点で、カウンセリングを利用される方も多いのですよ。

本日はここまで。
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