心の闇の根源

記事
コラム
恐れ・罪悪感・自己無価値感

この3つが思いの根源のほとんどであり
心の闇のすべてだと思います。

人間は根本的に神を恐れています。
神から分離した罪悪感で責められるという恐れを抱いています。
神から分離した自分に価値はないという恐怖を抱いています。

自分には価値がないから恐れ、
罪悪感から責められることを怖れ、
神から分離したから自分には価値がない
価値がないから罪悪感を抱き神を恐れ、
神を恐れるから罪悪感を抱く。

神から分離したことに罪悪感を抱き
罪悪感から神を恐れ、
そんな自分に価値はないと自己無価値を感じ、、、


ぐるぐる回っております。

この3つは
仏教では三毒という
とん・じん・ち
で、あらわされているかもしれませんね。

六道輪廻図の真ん中に描かれている車輪が
人生を動かしている車輪になります。
その車輪がとん・じん・ちの三毒
あるいは上記の3つの恐れ(死の恐怖)だったらどんな人生になるでしょうか?

無価値な自分⇒価値のある自分への変容は
無価値な自分との決別それはいままでの自分との別れ
その変容は「死の恐怖」と同じぐらい抵抗があるのです。
自分は無価値だということを根本的に受け入れているのです。

なぜなら、
罪悪感を受け入れているからです。
罪悪感も上記と同じですね。
罪悪感から自他を責めてこんな自分には価値がない、
ずっと責め苦を受け続けるに値する、それこそふさわしいという考え。
それとの決別、自分を許すことを受け入れるのは「死の恐怖」と同じです。

神との分離⇒神との一体化
これは本当に「死の恐怖」を感じます。
いままでの自分が自分でなくなってしまう抵抗
顕在意識は変わりたいと思っていても
潜在意識は今のままの自分はそれはそれでいいかなと思っていて変容を拒むのです。

広義な意味において「死の恐怖」の克服が変容なのです。

この人生の車輪(三毒)が知覚の根底であり、
それに続く思考・言葉・行動が人生を形作ります。

この知覚の根底が潜在意識が抱える最大のプログラム、「嘘」なのです。


この「嘘」を真実として受け入れたままでは
(潜在意識がそのエネルギーパターンを保有したままでは)
いくら外側が充実していても心はいつも不足していて
世界中の富を集めても
足るを知ることができず満たされることがないでしょう。
表向きは笑顔で楽しそうにしていても
心の根底にこんな恐怖を抱え込んでいる難儀な生き物なのです。
人間とは。

んなこたぁーないと思う人がいましたらそれは
心の底のドロドロした根本的な「死の恐怖」と向き合うのが怖いか
愛まみれのどちらかのひとです。



人間はどんなに外側の「状況」が充実していも
内面の「状態」が満たされていないと充足できないのです。

その人生の中心となる車輪が
愛と喜びと平安であったならば、

どんな人生になるでしょうか?


あえてポジティブに意識的に考えなくても
常にいい気分でいるように努力しなくても
ものごとをポジティブに捉えようとリフレーミングしなくても
それこそ自動で心の充足と喜びを感じることができれば?
そこから生まれる思考も言葉も行動も
愛という指針に導かれていたら?

やっと本来の姿に戻れたかもしれませんね。
生きながらに生まれ変わったのかもしれません。

そんな人生の車輪・運命の輪を
三毒から愛に変容する周波数とマントラを教えてもらいました。
それは虹の龍体への変容を促すようです。

さてどうなるでしょうね。
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