悩みのないところ

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コラム
おはようございます。


毎日のサラさんから湧き上がる様子から
囚われていたことや、拘りが少しずつまた顕わになるように感じています。


起きる事、現れることは
すべて全体からのものなのだけど


感覚的に手の指それぞれに何か個々入っているのではなく
全体の動きと調和してこの指も動いていますよね。
そういう感じです。


このサラさんという現れも
指と同じように
全体の調和の中で動いてる。


その動きを”自分がした”と思い込んできたということだった。


でも、それがあまりにも慣れ親しんだものなので
相方さんとのひことまでも
”こうしてあげたのに、あれ、ありがとうがない”
そのような想いが浮かびもやもやしたとき


その行為そのものをまた”自分がした”と
握りしめていたことに気づかされます。


そして、”してもらったら感謝お返ししないといけない”
そのような観念も隠れていました。


ただその現象がサラさんを通して起きた・・・ 以上なのですけどね。


教えられたこと、知識、概念が
全部崩されていくのを感じます。


悩みは全部、起きたことを”自分のもの”と
握りしめているとき起こります。


ただただ全体の動きがここに現れてる。


そこに”慣れ親しんだ自分”が入る隙はないのですね。


このような気づきが顕わになろうとするとき
しようとしているのに、なぜできないの?!
というような現象が現れることが多い気がしています。


諦めから明らかに・・・


どうこうしようとすることの諦め
抵抗の降参・・・


ふっと緩み、全体が顕わになる


ほんとは悩む必要なんてなかった。
起きることしか起きないし、
起きたことが間違いようなく起きたこと。



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