自分

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コラム
おはようございます。


昨日サラさん探検隊♪(笑)でこの道はどこに続くのだろうと
歩いてきました。

緑茂る細い道を進んでいくと、海が開けていて・・・
わあ~となりました。
お気に入りスポットになりそうです^^


☆☆☆


最近お話の中で感じたこと・・・


転んだり、コロナになったり、罪悪感が湧いたり・・・


”自分”というものにとって都合悪いと思われるような
事が起きたとき、
意味を探して安心させようとしたり
それらをないようにしようとしたり・・・
そういう働きが自然に現れてくるものですよね。


強い風が吹いて、何かがふいに飛ばされるように
そういうハプニングも
ただ自然に起きていることで


それらに対して何も解釈は本来なかったのです。


転んだ。


コロナになった。


罪悪感が湧いた。


ただ起きたこと。


それらを”悪いこと”と解釈されたとたんに
思考が次から次へと発動してぐるぐる・・・


それさえもどうしようもないので
ぐるぐるに巻き込まれるしかありません^^;


全体と表現されているところは
解釈の無いところ。


見えた内容、聴こえた内容に
入る前の静かなところというのか・・・


人それぞれのフィルターを通す前のところが
あるがまま
自然


そこが消えない永遠の安らぎでもあるのですね。


何もなかったのか・・・
これしかなかったのか・・・


いつもあったものが顕わになる瞬間


自分と書いて、自らを分けたもの


慣れ親しんだ自分という感覚は
全体から分離された状態なのですね。


でも、その状態は全体から切り離されてなくて・・・
そのように見えているだけ


自らを分けられたところから見える世界は
分離しています。


自らのところからは自らの内、上のことで
ただそのように在ると感じられる
分離の無い、良いも悪いもなくなるところ。


良い悪い
ラッキー、アンラッキー
ついてる、ついていない・・・
そういうように見えるときは
自分(自らを分けたところ)から見ていること
ベールだと気づかせてくれています。


転んでも
コロナになっても
罪悪感でても、
そのようすが、風で何かがとばされるように
自然の中で起きたこと。


”自分”の責任ではないということ
思い出してみてね。
自ら(全体)の内のこと。
大丈夫だから、安心していよう。










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