檻の中の”私たち”

記事
コラム
太陽がとても美しいですね・・・

本当は私たちも太陽のような光で、全てを照らせるのですよ。
というか現れる人や者の背後のの光を感じるようになる。
そのような意識へと変化していく・・・

光そのものだったと思い出してく・・・

2年前からお電話くださる方がどんどんそのように自身の抱えてるものが
癒されて光に変化されていくのを見させていただけ、共に歩ませていただけて
幸せで豊かで有難いなあ・・・・と今感じています。

天の采配に感謝です。本当に・・・

☆☆☆

”世間体、思い込み”という牢獄の中に閉じ込められていると
イメージしてみてください。

自分自身で自分を閉じ込めてるんです。

こうしなきゃ。
こう思われる。
こう見られる・・・などなど。

世間の目、周りの目に・・・

自身の中に、光の中にすっぽりと全てが包まれてるのですから、
その全てが何を表現していようと、
影響はうけないのですね。

離れた娘から

”ママ、ばーばがテニスプレイヤーの錦織くんが、画面上で
母って言わずに、お母さんって呼んでたのがみっともないから、
私にも、外ではこう言いなさいと言われたんだけど、
何が悪いのかわからない”とメッセージが届きました。

まずは、娘には
”ばーばにはばーばの感じ方があって世間でもそういう考え方の人が多いんだなと知れた。その中で貴方が感じるように表現すればいいよ。”
と伝えました。

”母と言わなければ恥ずかしい。
大人とはこうあるべきだ。”

そのような世間の観念に縛られているのですね。

”周りからどう見られるか。”というところを良かれという想いの中でですが
気にされているのです。

それもある意味檻の中です。

誰がどこでどう表現しようが、本当は自由です。

こんな風になんてないことですが、
私たちは、”これが正解だ”という檻の中で不自由になっているのです。

それも、人の数だけの、”これが正解”という世界の中を・・・

そしてそれぞれが、その主観の中で意見を通し不調和、争い、戦争へと繋がる・・・

とても悲しいこと・・・

”こうでなければ”

その檻がなくなれば

そこから解放されれば、どれだけ自由になれることでしょう・・・
なんだっていいんですもの。
”ここに在る”
ただそれだけが、どれだけ豊かなことか・・・


罪悪感もたなくたっていい。
望むだけ望めばいい。

やるだけのことしたときに、真実は見えてくるし、
どんな表現したって、それが、そのまんま私たちは
認められてるのです。

なかなか文字にするのは難しいけれど・・・

己の中の光に皆それぞれが気が付けたら
どんな素晴らしい世の中になるのでしょう・・・・

それをイメージするだけで、今ここの私は幸せに満ち溢れるのでした。







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