子どもが小さい頃、
子どもに対してわたしからは
幼児語を使わなかった。
にゃんにゃんとか、ワンワンとか、
いろいろね。。。
でも、
子どもが話す幼児語のようなもの
を訂正したことはない。
”どうせいつか『普通』になってしまう”
ならばその「可愛らしい言葉」を楽しみたい、
と思ったから
例えば、風船のことを「ぷうせん」
と言ったり
「おかえり」と「ただいま」
が逆だったり、
「M」音から始まることばが時々「P」音になったり
例えば、
「ママ、見て(Mite)」
という言葉が
「ママ、ピて(Pite)」
になったりするのである。
「ピてピて~(見て見て~)(^^♪」
って可愛すぎないかっっ?
モエる~(⋈◍>◡<◍)。✧♡
と思っていたのである。
そのうち子どもは大きくなり、
ちゃんと
「ママ、見て~」
と言えるようになった
(ちょっと残念)
でも、楽しい事や関心があることを
「見て~」
とシェアされることは楽しかった
愛している人や好きな人が、
何に関心があるのか知るのは
喜びである。
しかして、
子どもがティーンエージャーになると、
そういう「お楽しみのシェア」は
友人同士だけとなってしまった
(´・ω・`)しょんぼり。。。か?
というと、そうでもなかった。
ティーンと親はあまり関わらない方が
良い関係を保てる、と思う
( ´∀` )
「必要なときに必要な食事とお金を提供する保護者が居る」
なら、彼らはOKなのだ。
子どもがOKなら、わたしもOK(^^)
彼らが何か相談したいときは
「話がある」
と言って来るし、わたしの部屋でプライバシーを保って話をしていた。
まあ、ティーンに「話がある」と言われると
「ドキン」とするですけどね~
一度、目をウルウルさせながら
「話がある」
と言ってきたときは
「”妊娠した”とか言われても冷静になるんだワタシ!」
とか考えてましたよ( ´艸`)
幸い、そんなに難しい話しはなかった。
例えば
「タトゥーを入れたい」
と言われても、反対しないしね。
子どもが「話がある」と言ってきた時には、
”何を聞いても感情的にならない”
というルールを自分に課していた
常に
”何を相談するのもウェルカム”
である、と示すこと
”何を話しても大丈夫なひと”
であることを示すこと
「話しをするハードルが低い」
状態に保つことが、
”万が一”の時に手遅れにならないだろう、
と思っている。
もっと早く言ってくれれば、
とこちらが思った時
「言いにくかった」
とは絶対に言われたくなかったのだ
そして今、
子どもそれぞれ大学に行ったり
違う国に住んでいると。。。
「見て~昨日作った」
という夕飯の写真や
「昨日はこんなお店にOOと行ってきたよ~」
などと写真を送ってくれるようになった
こちらも夕飯の写真や、
どこかに行った時の写真は取っておいて、
向こうから連絡が着たときに
返信として送ったりしている
どんな風に過ごしているのか
どんな楽しい時間を過ごしているのか
「ピてピて~(見て見て~)」
の復活にほっこりしている。
楽しい事のシェアは、こちらも楽しい
だからSNSがこれほど普及しているんだろうな、
と納得
距離があっても心が近くなる
テクノロジーLOVE!です
こんな感じの距離感が我が家のやり方です
干渉せず、しかしオープンに
を心がけて人や子どもとも接してます