国語辞典によれば、「怒る」は、不満、不快なことがあって、我慢できない気持ちを表すこと。一方、「叱る」は相手の良くない言動をとがめ、強い態度で責めること。とあります。
自分の不満な気持ちを相手にぶつける様子と、強く責める様子が似ているため、「怒る」には「叱る」の意味が含まれるようになりました。しかし本来「叱る」には「怒る」の意味は含まれていません。
両者の違いは、「感情的」であるか、ないかと「相手を良い方向に導こう」という意思があるか、ないかだといえます。
子どもたちが、単に私たちおとなの意にそぐわない言動をするから「怒る」のでは指導になりません。
そのようにされた子どもたちには「規範意識」や「判断する力」は身につきません。「怖いので従う」という条件反射的な習慣が生まれるだけです。
大きな声で怒鳴られることに馴れて、やがて叩かれなければ従わなくなり、一回叩かれても平気になれば次は二回・・・・。
おとなが正しく「叱る」とき、意図的にこわい表情はしていてもそこには「感情の爆発」はないのです。
私たちが子どもの言動に対して「腹が立つ」ときには、その前に何かしら「教えるべきこと」があるはずです。
例えば、廊下を走ることに対しては「けがを防ぐ」「マナーを教える」という「教えるべきこと」があります。
「さんざん言ってきたことを守れないから」を理由に叱っているとき、それはただ怒っているのと同じです。
親や先生に「叱られる」ことは本来「ためになること」「ありがたいこと」です。そして私たち「おとな」には「この子を良い方向に導きたい」という意思が必要です。
子どものやる事に「腹が立った」時には、その前にある「教えるべきこと」「自身の中にある理由」を意識して叱れる力を身につけたいものです。