たとえ、あなたが望むような言動をしてもしなくても「その子にはそのような面がある」だけのことです。
人は多面体のサイコロのようなもの。誰しも様々な面をもっています。「この子はこういう子」とレッテルを貼れば、あなたの前では「その面」しか見せなくなります。
それが、良くないレッテルだった場合、あなたは、その子から「嫌いな先生」「自分を認めてくれない大人」とレッテルを貼り返されます。
固定化された関係性のもとでは、子どもであれ大人であれ、成長は望めません。加えて、日常的にあなたから指導を受けているその様子を見ていれば「あの子は叱られても仕方のない子」「何度も間違いを繰り返すなら、厳しい言葉を浴びせてもよいのだ」という強いメッセージを他の子に伝えます。
とはいえ、私たちも人間ですから、「あう、あわない」はあります。教育書にあるような「人をありのままに受け止める」ことは難しく感じます。
私は、その子の言動にがっかりしたり、腹が立った時には、
「お父さん、お母さんの前では、きっと違うのだろうな」
「おじいちゃん、おばあちゃんにとっては、かわいくて仕方のない孫に違いない」
と、自分には見せてくれない別の面の存在を考えるようにしています。
あなたにとって望ましい行動も、そうでないものも、その子にそのような面があるだけです。
上手にサイコロを振って、その子の「良い目」が出るようにすること。
常に「ほかの面もあるはず」と想像力をもって子どもと接すること。
考えてみませんか。