おはようございます。
今日は、薄っすらと雪の積もる日になりました。
昨夜の事ですが、先に旅立った友人達と、そのご家族の事を思い出していました。
生まれる前に逝った子の事なども、その当時を振り返り思い出しておりました。
私が、19~27才になるまでに、交通事故、自殺(真偽不明)、職場での事故、過労、病気など、まだ夢も希望もあった友人達が、若くして散っていった事が朦朧とする中で思い出されました。
先日までラグビーの練習をして、翌々日の試合の前の夜に逝ったK君、前日に社会人ラグビーで一緒に試合をしたE君、自分の不甲斐なさに悲しんでいたK君、後少しで夢が叶いそうだったY君、何も分からずに逝ってしまったH君とS君、病状は悪化していたが会うとニコニコ笑っていたI君、自宅療養しながら逝ったKさん・・・、もう今生で会う事は叶いません。
そして、身近な者達が若くして逝ったご家族の悲しみには、同じ席にいて辛く染み込んで来るものがあります。
人の生死や傷病の事で、「お前は人でなしだ。」と何回か言われた事があります。
それで、あなたのお気が済むのならそれも良いでしょう。
ただ、変わらない真実として、「全ての人が仏、神の子である事実です。」
19才の時に逝ってしまったK君が枕元に立った事が26才の時にありました。
「君はいいな、まだ生きているから色々できるだろう。」
その当時は、苦しくて自分を滅してしまいたい気持ちが強かった時期でもあります。
「こんなに苦しいのに、生きている方がいいのか?」
彼はニッコリ笑って消えていきました。
あれから34年の月日が流れ、「色々あったけれど今が有って良かった・・・」と思えるようになっています。
人には、家の中にいて横にいる人の事でさえ、全てが分かる訳ではありません。
慮り(おもんぱかり)で、地上の事と、霊界から見た視点では、本来なら霊界的視点で見なければならないのですが、情が入り混じり、誤認してしまう事もあります。
身体を持って生きる事は、一寸先の闇の中にあるものも分からないのが事実としてあります。
その様な事実が目に見えた時に、求めるのは救済になるのですが、思い通りの救済をしてもらえないと、心が乱れる事もあります。
今朝の事ですが、先ほど話に出てきた、私の枕元に立ったK君に聞きましたが、「地上にいた時には、自分で望んで地上に出てきたのを忘れていた・・・」少し悲しい目で話してくれました。
先に逝ってしまった友人達とは連絡が取れる方と、取れない方がいらっしゃいます。
まだ、地上を徘徊している方もいらしゃいます。
「暗い!ライトのスイッチは何処だ!」と騒いでいる方もいます。
「ヨパラっていない、座っているだけだ・・・」と川辺りにまだ座っている方もいます。
上述したK君ですが、先ほどまたやって来て、自分の死が理解出来るのに数年かかったり(早いですね)、霊界に帰る(成仏する)と、魂の兄弟から、「学問をしに行っていたのに、遊びに行って交通事故で死ぬなんて、他の人の予定まで狂わせて!地上に出してくださったご両親を悲しませおって!!」と相当怒られたそうです。
反省の為に地獄にいましたが、仏様との縁(よすが)があり、救済の菩薩に救われ、反省の為に浅い地獄で多少の苦痛を受けながら、地上での悪かった考えと行為を、思い返しながら反省していたそうです。
「地上にせっかく出てきたのにバカだったと思います。この失敗は失敗として受け入れ、次の肥やしにするようにします。私の話を聞いてくださって、ありがとうございます。」(K君が今話している事を書いています。)
現在では、それなりに霊界での仕事をしているとの事でした。
K君は、失敗と言っていますが、時間が経ち反省と新しい目標ができたら、長い心(魂)の旅では、「必要な経験だった。」と思える時が来るのでしょう。
心(魂)の旅は、永遠の旅、仏様、神様と歩めればと思う朝でした。
今日も笑顔の一日をお過ごしくださいね(^^)