ADHDを受け入れるまでにたどったステップ

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こんにちは。
はやぽんです。
私は仕事上の人間関係が原因で適応障害になり休職、その後の検査で発達障害(ADHD)を抱えていることが分かり治療を開始しました。
約2年半の休職期間を経て元の部署に復帰しました。
休職後の適応障害の克服、発達障害の特性との付き合い方など様々な経験を積んで自分とどのように向き合えばいいのか考えられるようになり絶望の底から這いあがることができるようになってきました。
発達障害を抱えていてうつ病や適応障害で休職している人がなかなか仕事に復帰できない理由の一つが自身の発達障害の特性理解と人間関係の悩みの問題です。
この記事では発達障害を抱えた人が自身の特性理解と人間関係で悩むことなく社会復帰するためにするべきことについて情報をお伝えできればと思います。

休職一か月目~まだまだメンタル崩壊中

休職一か月目、現在の生活状況、治療状況について上司と面談のため、勤務地へ行った時、勤務地の駅が近づくにつれて動悸がしてきました。
改札を出て向かいましたが、入り口に行けず上司に電話。同僚に迎えに来てもらいました(もう、泣いていました。)
何とか職場に入ることができました。着いてからも涙が止まらず……
上司と面談をして帰宅。

帰り道も涙で顔がぐしゃぐしゃで上司もかなり心配そうでした。

まだまだ精神的につらい時期で、電車で職場に向かう途中の車内で動悸や冷や汗が止まりませんでした。

「職場に近づくだけでどうにかなってしまいそう………
職場が怖い、逃げ出してしまいた。涙が止まらなくて、そんな姿を見せてしまい自分自身が情けない。」

そんな気持ちでいっぱいでした。そんな出来事から心が落ち着くまでに一か月くらいはかかってしまっていました。まだまだエネルギーが足りない状態だと感じていました。

休職3か月目~少し生活リズムも安定してきた~

規則正しい生活リズムを維持し、主治医の服薬の指示どおりに薬(ストラテラというADHD治療薬)も飲み続けました。ちょうどこの頃にADHDの確定診断もあり、本格的に発達障害の治療が始まりました。

発達障害や適応障害に関する書籍、インターネットで情報収集をしたりと自分自身で治療に向けて前向きに取り組み出して復職への意欲も徐々に湧いてき出した時期でもありました。
段々と身体の調子も整ってきたので、そろそろ復職もしたいと考え始めることができるようになってきました。
そこで自分の適応障害の状態が良くなってきているのか確かめるために仕事で使っている駅まで行って動悸や冷や汗、焦りなどの変化が起こらないか検証することにしました。
そこで普段と変わらないように実感することができてきたので復職に向けて上司と相談してまた職場に治療状況の報告をしにいきたいという気持ちが湧いてきました。
今、振り返ると、少し復職に対して焦り過ぎていたのかなとも思います。
というのも、最初に医師から適応障害の診断書をもらった際に休職期間は3か月間と書かれていたので何が何でも3か月以内に復帰しなければと思い込んでしまっていたのでした。
上司と定期的に電話で病状報告をしていた時も休職から復職まで診断書の期限内で復職できるでしょという軽い気持ちで考えていましたが、その甘い見込みと復職への気持ちの焦りが復帰一度目の失敗の要因だったと思います。

休職5か月目~上司の急な異動

そろそろ上司に復職の相談をしようと思っていた時にタイミング良く上司から自分に電話がありました。
2週間に1度くらいの頻度で上司と電話で治療状況について近況報告をしていたので定期連絡だと思って電話に出てみると

「急にで申し訳ないんだけど、今度転勤することになったよ。来週からの異動でその連絡なんだ。復職してもらってまた一緒に仕事がしたいと思っていたけど、それが叶わなくて残念だよ。後任の人には自分から引き継ぎをしっかりしておくからね。部署は変わっちゃうけどまた連絡してね。」

急な上司の転勤により私の復職までの予定は後ろ倒しになってしまいました。
何より私にとってショックだったのは私のことを気にかけてくれていた上司が急にいなくなり、また新しい上司と一から関係を作り直さなければならなくなったことでした。
急な環境の変化にショックを受けてしまいその影響で私の精神状態は乱れてしまいました。

休職10か月目~復帰のための訓練開始~

担当上司が変わってからも2週間に1回ほどは電話で新しい上司と連絡を取ったり、月に一度は職場に直接近況報告をしに行ったりとしていく中で新しい人間関係にも慣れてきて、体力も回復し、生活リズムも安定してきました。
そしてADHDの診断を受けた半年後の2019年10月から復職に向けて復帰訓練を始めました。
まずは勤務地まで電車に乗っていき事ができるかという所からスタートでした。
電車に乗って勤務地まで行くことができました。
涙も出ていません。!よし、いけるぞと思っていました

復帰訓練1日目:暖かく迎えてくれると勝手に期待していました。

同僚たちに「ご迷惑おかけしました、これからまたよろしくお願いします。」と挨拶

なぜか無視される。
初日から心がざわつきました。

復帰訓練2日目:上司の席の横に立ち、復帰訓練の状況報告をしていたら、同僚に「おい、どけよ。」と言われました。

またまた心がざわつきました。

なんかこの感じ、前の時と似ている……

復帰訓練3日目:パソコンでの作業について分からないことがあったので隣の席の人に聞いていたら同僚に「そんなことも分からないのかよ。新人以下だな」と言われました。

心を病んで復職した人に対するないなと思いましたが、私の職場ではそういう人たちが多くいるのが現実でした。

心がまた折れました。
復職訓練3日目の帰宅後、上司に復帰訓練を中止したいと伝えました。
これ以上続けたらまた適応障害・うつ状態になってしまう。


と、自分で心の変化や不調に気が付くことができ自分で上司に申し出ることができましたので最初に適応障害になったときよりもそのあたりは成長したのかもしれませんが、精神的にはまだまだ不調だったのです。
復帰訓練を始めてから休職直前のように顔色が悪かったようです。妻も心配していました。
体力も戻ってきたし、生活リズムを整えて医師の指示通りに服薬も守り、ちょっと図書館やネットでメンタル関係の本を数冊読んでいれば復職できるだろうと甘く考えていました。
もう準備は整ったと自信を付けた上で臨んだ失敗だったので、わずか3日で左折した時はこれまでの努力が全て否定されたような気持ちになってしまい、かなり落ち込んでしまっていました。
復職を失敗してしまったことから、自分の戦略は間違っていたことは分かりましたが自分では何が間違いだったのか分からず、しばらくは自己不全感と絶望感で生きる気力も低下していました。
このまま社会から取り残されて孤独になるのかな
と自分自身ではどうすることもできない気持ちで頭がいっぱいで、適応障害を発症して病院に連れていかれたその日のことがしばらく頭から離れませんでした。

復帰訓練失敗を受けて実践したこと

復帰訓練に失敗したとき時期にちょうど通院していた病院で職場復帰プログラムがスタートしました。
復帰するための講義が行われ、グループワークなどを通して復帰を目指す取り組みです。
これに参加してみようかなと思い、主治医に相談して参加することになりました。
私は通院する病院の職場復帰プログラムに参加することで自己分析や障害の理解と受容ができるようになり、最終的には復職することができました。
職場復帰プログラムではストレスや休職してしまったしてしまった原因の分析や対処法、休職中の過ごし方等の生活指導やメンタルの病気や発達障害の講義と仕事が円滑に進むためのコミュニケーションの方法などについてロールプレイングを実践したり、グループワークを行いました。
参加しているメンバーの仕事や立場、休職の原因等は人それぞれ違いますが誰もが復職や再就職という同じ目標を目指して前向きに参加している人ばかりです。
私も治療に対して前向きになることができました。
辛いのは自分一人じゃない、みんなそれぞれ立場は違うけど同じ復職という目標を目指して頑張っているんだ。
職場復帰プログラムに参加して広い視野で物事を考えることができるようになり、それがきっかけで私は発達障害を前向きに捉え直すことができるようになりました。

さいごに

最後までお読みくださり本当にありがとうございます。
この記事では私が適応障害を経験し、仕事を休職したときのエピソードを紹介させて頂きました。
休職中は一人で悩みを抱え込み、人との交流も減ってしまいがちです。
そんな時に自分の悩みを聞いてくれる人が誰かいたら……
そんな方のお力になりたくて私も何かやりたくてこの記事を書かせて頂きました。診断やカウンセリングなどの専門知識はありませんがお悩みの方のお気持ちに共感することはできると思います。話を聞いてほしい、休職中の悩みを誰かに話したいという方はご連絡お待ちしています。

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