心の断捨離。迷うことなく今を生きる。

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コラム
悟りを開く。
高宗で、自分を律し、修行の上に開眼する。
そんなイメージがあります。

調べてみたら一般用語と仏教用語で用いる際の意味がちょっと違うんだそうです。
一般用語は簡単に言えば、物事を理解する。またある種のあきらめたような気持ちになること。
仏教用語だと、物事の真理に気付き、迷いや悩みがない状態だそうです。

どっちにせよ、悟りを開くという言葉は一段上に上がった人たちの世界観を連想させます。
現実的に悟りを開いたような人といえば、どことなく聡明で達観してるような人を想像します。
俗世間に染まってないような人も当てはまるでしょうか。

煩悩だらけが普通の大多数の人々が悟りを開く境地に達する時。
それはどんなときでしょう。

それは様々なことに対して手放すことができた時ではないでしょうか。

手放す


オラクルカードでもよく「手放す」というキーワードがあります。
執着しないという意味でも使われたりします。

文字通り手放すことで何が得られるか。
まずスペースができます。
例えば両手に荷物を持っていたら、次の荷物は持てません。
でもどちらか一方でも手を離せば、また新しい荷物を持つことができます。
考えも同じ。
考えてることが次から次へと増えていったらキャパオーバーします。
頭いっぱい状態ですね。
考えてることを整理して不必要な思考をやめる。
そして空いたスペースで別の有用な考えを巡らす。
断捨離も同じです。

今持ってる物でも思いも、すでに役目を終えたもの、もう必要のないものはあるはずです。
まずはそれを見定める。
不要となったら潔く手放す。

また使うかもしれない。
まだ心残りがある。

物であれば使わなくなったものはだんだん隅っこに追いやられて、荷物としてどんどん増えていきます。
いつか使うといって大事にしまって結局使わない。
そこにあるのを忘れて、また同じような物を買ってしまうこともあったりします。
そんなことの繰り返しでどんどん増えていく。
そしていざ処分となった時に大変な苦労が待っていたりするものです。
それでも物はそこから移動することで目に見えて形を無くすことができます。
綺麗になった。
スッキリしたと実感がわきます。

思いの場合は、そうもいきません。
自分の心の中にいつまでも残り続けてしまうこともあります。
そういうのはたいがいネガティブな気持ち。
その思いをどこかで吐き出すこともなく、心の大きな鍋底の中で火が途切れることなく、延々と残ります。
さらに時間が経つにつれ、思いは煮詰まり、なんだか変な考えに変化してしまったり。
最初はそんな考えじゃなかったのに、なんだか自分に都合よく改変されたり。

心の底にたまる変化した思いは、池や沼の底にたまるヘドロのみたいなもの。
川のような水の流れがあれば、常に流れ出る変化があり、新陳代謝も活発になります。

ところが出口のない湖沼は水の流れの変化に乏しいので、なかなか川のようにはいきません。
代謝もゆっくりでしょうからおのずと溜まるものも増えやすい。
ただ自然界には分解者がいるので、少しずつでもきれいになっていくものです。
また人の手で汚泥のすくいあげができることもあります。

さて心の底にたまって煮詰まったものはどうやってすくいあげようか。

今を受け入れるところから始める


一つの方法として、自分をまず受け入れる。
今のままを受け入れる。
言い訳もせず、誰のせいにも何のせいにもしない。

ただ受け入れる。

どうしてそうなったんだろうとか、自分は悪くないのにとか、そんなことを考えてもすでにあまり意味はない。
煮詰まって変化した塊になってしまったらもう捨てるしかないから。
あるとすれば捨てる過程に意味がある。

受け入れた後は、ひたすら前を向く。
何も変わらなくてもとにかく前だけ見る。
後ろを見るから余計な雑念が入り込んで複雑になっちゃう。
もう塊になって捨てるしかないものからは何も生まれないという自覚を持つ。
そこから物質的な物のように、目に見える形、耳に聞こえる形、五感で感じられる形に置き換えて捨てる。

それは何でもいい。
好きなこと、興味のあることをする。
友達や家族や恋人と楽しい時間を過ごす。
あるいは仕事に没頭して余計なことを考えずに目一杯体を使う。
誰かに遠慮せず思いの丈をぶちまけるもよし。
文字にして書き連ねるもよし。
心の状態を自分の好きな表現の仕方で、外に吐き出す。
声に出したり言葉に出したり体で発散させる。
そうやって心の不要物から意識を外すことが、少しずつ心自体のスペースを広げていくきっかけになる。

受け入れて手放す。
「もう要らない」と言えるまでの時間は人それぞれ。

不要になった物たちと違って、心の不要物は普段は心の奥にあるのに何かの拍子で簡単に頭の中に表示される。
まるで昨日のことのように鮮明に映し出されるやっかいな代物。

それでも取り出せるのは自分しかいない。
そのきっかけを誰かに頼ることはできても最後は自分です。

だからあの手この手で意識を変える手法なり、工夫なりでみんな頑張ってる。

だけど手放した後は、
「なんでこんなことにいつまでもこだわってたんだろう」
そんな風に感じることも多いものです。

だってもうすでに終わっているものだったんだから。

今こうしてる間もどんどん前に進んでいく。
その中で必死になって手放すまいと握りしめてる思い、ありますか?

もしあるならばそれは本当に必死になって守りたいものなのかどうか、今一度自分に問いかけてふるいにかけてみる。

案外さよならできる思いもあるかもしれません。

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