方位の良し悪しのせいにしない

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コラム
皆さんは吉方位、凶方位というのを気にしますか?
今日はそんな方位に絡んだ話をしてみたいと思います。

あくまでも個人的な考えですので、素人の戯言と思っていただければありがたいです。

吉方位、凶方位の体験談

というわけで、吉方位、凶方位という概念について。
わりと市民権を得ている分野だと思います。
私もそれなりに気にしたことのある一人です。

かつて引っ越しの際に参考にしたことがあります。
そのうちの一つはいわゆる凶方位ではなく、可もなく不可もなくの方角でした。
流派によっては吉方位以外はすべて凶ととらえるようなので、そう言われたら凶だったのだろうということになります。

そこはこれまでの引っ越しの中で一番しんどい思いをした家でした。
一年たったかどうかぐらいで再度引っ越しをしました。

後からその方角は、騒音などの現象が現れるようなことが書いてある記事を見つけ、「ああ、やっぱり」と思ったものです。

隣人の生活音ですごく悩まされたのです。
その家の防音性能もあまり期待できるタイプではなかったこともあり、正直大失敗だった苦い思い出です。

その後今度は吉方位を狙って引っ越しを決め、結果はどうだったかというと普通でした。
特別いいことがあったわけでも、悪いことがなかったわけでもなく。
しいて言えば、うまくいかないことがあっても割とすんなり解決できた気もします。

今はまた別の場所に引っ越して、この時も方位は参考にしましたが、可もなく不可もなくの方角です。
結果も同じく至って普通と思います。

ここまで体験談を書いてきましたが、正直方位の吉凶ってあるんでしょうか?
確かに当たっているような気もしますが、はたして本当にそうなのだろうか?とも思う自分がいます。
方位にそこまで影響力ってあるのだろうかと。

陰陽五行説の考えがしっくりくる

自分も参考にしてきた身でこんなことをいうのもなんですが、そもそも凶方位に割り当てられた性質は一体どういう基準で決められたのか。
例えば五黄土星の方角が最凶の方角、五黄殺と言われますが、なぜ五黄土星が?
その反対側が暗剣殺。
自分の星とその反対側の凶。
なぜそんな役割を持たせたんだろうか。

方位学は九星気学がベースと言われています。
その九星気学のベースは?といえば中国の九星術。
九星術には陰陽五行説の考えも含まれています。
その五行説を見れば九星の相性のいい悪いが見えてきます。
であるならば、シンプルにそれに合わせて解釈された方がしっくりくるのになあと感じるようになりました。

それで考えると、それぞれの星にとって勢いを制限してくる星の方角こそが、いわゆる凶方位にあたるんじゃないかと。

五行説から見て、自分を助けてくれる星。(+)
自分が助ける星。(+、-)
自分が制限する星。(+、-)
自分を制限してくる星。(-)

ちなみにこの関係図だけで見るならば、最凶と言われてしまっている五黄土星が常に凶方位として扱われることはありません。

すべてがそうであるように、五黄土星だって助けてもらう星があります。
助ける側にもなります。
もちろん制限する、されるもあります。

誰しもが吉にも凶にもなって、お互いを助けたり牽制しあったりしてバランスをとる。
それが五行説の考えです。

わかる範囲で見る限りは、この相互関係とは異なる解釈で方位の吉凶が導き出されています。
だから余計になんでなのかなあと思ったりしたわけです。
(もちろん五行説以外の考えも入った上で、総合的に体系づけられたものなんでしょうから、こんな単純なわけはないんですけども。)

バランスのため

いい方向、悪い方向。
そういう概念の信ぴょう性は語りだすとキリがないくらい、いろんなところで論議されています。
それだけ人々の関心が高く、なるべく厄災を避けて少しでもいいことがあるようにと願うからだと思います。

自分も含めて、とかく人っていいことを呼び込みたくなります。
それが普通です。
誰だって予め悪いことは避けたいです。
そういう時にこの方位だったり、占いだったりが活用されるんだと思います。

でももし本当に凶方位があるのだとしたら。
なんのためにあるんだろう。

凶方位に行ってしまった。
悪いことがおきたらどうしよう。
ちょっとでもうまくいかないことが起きてしまった。
そう思ったら何でもかんでも凶方位のせいにしてしまいませんか?

私の例をとっても、もしかしたら方位の影響を受けたのかもしれない。
でもだからといってそれを方位のせいにしてしまっては、もうこの先ずっと方位に縛られた生き方になってしまいます。
選んだ諸事情はあるにせよ、決めたのは自分という原因に対しての単純な結果です。
これはもう誰のせいでもなく、受け入れるほかないわけですよね。
誰かの話で、「人は思ったように行動する」という言葉を聞いたことがあります。
そしてその結果を受け取る。
本当にそうだと思います。
思っているからそういう行動、結果に出てきた。
だから方位がどうこうではないとも思えるのです。

方位学がどのような意味を持って確立されたかはわかりません。
人々の幸せを願う思いで作られたのかもしれません。
だから〇〇殺なんて、わざと遠ざけるような名称をつけたのかもしれません。

でも誤解を恐れずに言うと、今となってはそれはとても都合のいい概念。
行くか行かないかで簡単にできる(と思われている)開運法。
本当はもっと奥深いものだろうに、すごく安直な捉え方をされてしまっているような気がします。
概念の背景を知らずに表面だけのお手軽さだけがクローズアップされて、それが結局自分で人生を切り開く努力そのものを省いてしまうことにつながってしまいかねない。

だって答えを教えてもらってテストをやるようなものですもん。

別のお話でも書きましたが、いいも悪いも必要なことですべてはバランスです。
それなのに悪いことを避け続ける人生を目指すのははたして健全なことでしょうか?

悪いことも経験しなければ何が悪かったのかわかりません。
そこから必ず気づきがあります。
失敗は成功のもとという言葉があるように、それを経て見えてくるものがあるわけです。

いいことばかりだったとしたら、それはそれで逆に不幸です。

勢いがありすぎて収集がつかない暴走しがちな時、誰かが鎮めてくれたり間に入って収めてくれたり、そういった調整役としても制限する側の星が必要です。

なににしても「~すぎる」ことはそれだけでいい状態ではない。

そういうものを含めて方位に五行説の意味を持たせるならば、凶方位というものは自分への気づきをもたらす役目なのかもしれません。
自分をあえて制限させることで、立ち止まり修正し、本来の良さを引き出す。

でもそれがどこにあるかわからないから、あえて教えてくれているのが方位学なのかもしれませんね。

おわりに

そんな勝手な考察から、近頃は別にどこの方角に行ったってなんら問題ないはずと思うようになりました。
必要な方向へ気にせず行った方が自然です。
そこで起きることは誰かのせいでも何かのせいでもなく、自分の行動によるものなのだから。
不可抗力的なものは除きますけどね。

いいことが起きてほしければ、そのように行動する。
悪いことが起きてほしくなければ、そのように行動する。
どんなことでもすべては自分のためになると思って。
なので私はもう気にするのはやめようと思います。

長文お読みいただきありがとうございました。

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