人にはそれぞれいろいろな考え方、捉え方、感じ方がある。
ある人のその思いに共感したり反発したり、受け取る側の感じ方によって反応が異なる。
それはごく自然なことだし、それをコントロールすることはできない。
だけどもなるべく
「そうだね」
「あなたの言ってることは正しい」
と理解を示して欲しいと思う人が大多数なのではないだろうか。
共感してくれる人が多ければ多いほど心は安心する。
それも至極当然なこと。
相当なあまのじゃくでない限り、反対されれば自分を否定されたように感じてしまうから。
だから何かあると反対意見を押しのけ、賛成多数の状況を作りたがる。
例えばネットのコメント欄。
たくさん共感されることを求める。
そこで反対意見が出ると、とたんに目くじらをたてて反撃する人もいる。
いろんな意見を出し合って議論する場なんだから、自分と違う意見が出ていいじゃないか。
全部イエスマンだったら独裁政治と同じじゃないか。
特に自分の意見に自信を持っている人ほど、反対意見に敏感で攻撃的になってるように思う。
でもそれはその人の考え方であって、すべての人が同じではない。
自分はこう思うけど、あなたはどう思いますか?
それに対して
「ああ、そういう考え方もあるんだね」
そうやって納得すればいいだけのことじゃないか。
そういう寛容さがなんとなく薄れているようにも思う。
何か一つの出来事に対して当事者じゃない第三者が、一斉にあーでもないこーでもないと思いを口にする。
10人いたら10人の考えがある。
本当のことは当事者にしかわからない。
本人たちだってわからないこともある。
でもしったかぶって方々に思いの丈をぶちまける。
口に出した人たちはそれで自己満足にひたれるだろう。
勝手に論議の徒党をくんで、見えないところから攻撃しているのと一緒だ。
同じものを見ていても、自分が見えてる景色と相手が見ている景色は違う。
そこを理解すれば自ずと出てくる言葉は変わってくる。
相手の立場になって考える。
自分のものさしで図らない。
成長過程の中でいくどとなく聞いたことのある言葉。
自分と相手の考え方の違いを理解すること。
物事の捉え方の違いに気づくこと。
なんでそんな風に思うのか。
中立の位置から考えてみる。
そこから歩み寄りの精神が生まれてくる。
お互いに肯定したり、疑問点を指摘したり、間違いがあれば正したりすることで新しい理解の幅が増えてくる。
違うということはマイナスじゃない。
違うからいいんだ。
それぞれがそれぞれの掲げる思考スタイルを否定するのではなく、その思いを理解できなくても理解しようとする姿勢が大事。
それを前提に言葉を発したり行動に移したりできれば、きっと世の中の不毛な争いごとの少しは減るのにな。