気持ちを落ち着かせたNくんに私から伝えたのは、
「“将来の自分”には叱られないようにしなさい」ということです。
今から10年、20年経ち、子どもたちが大きくなったときに遠くから見守ってあげることはできますが、隣でずっとサポートしてあげるようなことはできません。
「あのとき勉強しておいてよかった」「どうしてあそこで諦めてしまったんだろう」と、大人ならば誰しも考えたことがあるかと思います。
もしNくんが将来研究職に就きたいと思ったとしても、漢字や英語がまともに読めなかったり礼儀の一つも知らないと研究室に入れてもらえないかもしれません。
それで後悔するのは、他でもなくNくん自身です。
この立場でこのようなことを書くのも恐縮ですが、私たち大人に多少叱られたところで、人生がとんでもないことなどほとんどありません。
ただ将来の自分に叱られてしまうということは、それはきっといつか後悔してしまっているからだとも思うのです。
誰もが大人になってからやっと気づかされるものかと思いますが、やはり勉強は先生や両親のためではなく、自分自身のために続けていくもの。
大人になって「明らかに役に立った!」と感じられる機会はそれほどないかもしれませんが、無意識にできるようになっていることほど自分で気づきづらいものですし、あとからそういった勉強を一からしようとするのも、なかなか荷が重いものなのです。
こういった話をNくんにすると、ハッと何かに気づかされたように目の色が変わりました。
それから漢字テストでは無事合格点を取り、家庭での宿題への向き合い方も少しずつ変わっていったようでした。
自分はいったい何のために、誰のために勉強しているのか。それが少しずつわかってきたからなのかもしれません。
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私も社会人になってから、「ちょっとお腹がでてきたかな」などとふと気にすることが増えてきました。
そんなときは「ああ、あのとき食べたラーメンがいけなかったんだな」「最近運動できてなかったもんな」と、いつの間にか過去の行いを振り返っていることに気づかされます。
でも、その行動を選んだのは自分自身。その失敗を受け入れて、前に進もうとするのもまた自分自身でなくてはなりません。
恥ずかしいながらも、私も今身をもって痛感させられています。
ただ逆に言えば、自分のやってきたことが将来の自分に褒めてもらえるようなこともたくさん増やしていけるはずです。
「あのとき頑張っておいてよかった!」と実感できるのはまだ遠い先だとは思いますが、私たち大人が「ほら、もうこのステップまでできるようになってきたじゃない!」などと成長を実感させてあげることが大切です。
私たち大人がしてきた後悔を子どもたちにさせないようにしてあげるためには、同じ目線に立って一緒に立ち向かっていくのが一番でしょう。
きっといつか他の子どもたちも、Nくんのように気づいてもらえるはずです。
“将来の子どもたち”の代わりになって、一緒になって失敗を受け入れ、愛情をもって伝えてあげること。それこそが、私たち大人に課せられた使命なのかもしれません。
“将来のあなた”には叱られないようにね、と。
伊瀬山 けんご