『五輪書』 宮本武蔵が現代に生きていたら・・・Part3 火の巻

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火の巻


一場の次第ということ。〔戦いの〕場の位置を見分けるとき、場におい ては日を背にするということ(原則)がある。日(太陽)を後ろにして構 えるのである。もし、所によって日を背にすることができないときには、右脇に日をおくようにすべきである。座敷においても灯りを後ろ、 または右脇にすることは同様である。後ろの場がつまらないようにし て、左の場を広げ、右脇の場を詰めて構えたいものである。夜でも敵 と心得て構えるべきである。〔また〕敵を見おろすといって、少しでも 高い所に構えるように心得るべきである。座敷では上座を高い所と思 かみざ が見えるところでは、火を後ろに負い、灯りを右脇にすることは同様と心得て構えるべきである。敵を見下ろすと言って、少しでも高いところに構えるように心得るべきである。座敷では上座を高いところと思うべきである。

さて、戦いになって敵を追い回すときは、自分の左の方へ追いまわす気持ちで、難所を敵の後ろにさせ、何処ででも難所へ追いかけるこ とが肝要である。難所では「敵に場を見せず」といって、敵に周りを見回す余裕を与えず、油断なく追い詰める心得である。座敷においても敷居、鴨居、戸障子、縁など、また、柱などの方へ追い詰めるとき も「場を見せず」ということは同様である。いずれ(屋内外)でも敵を追いかける方向は、足場の悪い所、または側に障害物のあるところで、どちらも場の有利さを活かして、場での価値を得るという心得が最も大事で、よくよく吟味して鍛錬すべきである。

一 三つの先ということ。「三つの先」(先手のとり方)の一つは、自分の方 から敵にかかるときの「先」で、「けんの先」の先)という。また一 つは、敵からこちらにかかるときの「先」で、これは「たいの先」(待 の先)という。いま一つは自分の方からもかかり、敵もかかってくる たいたい ときの「先」で、「躰々の先」という。これが三つの「先」である。

どのような戦いの初めにもこの三つの「先」以外にはない。先手の とり方によって、早くも勝ちを得るのであるから、「先」というのは 兵法の第一なのである。この「先」の内容はさまざまであるけれども、 かな その時々の理に適うことを優先し、敵の心を読み、兵法の智恵をもっ て勝つことなので、細かく書き分けるものではない。

第一、「懸の先」。

自分がかかろうと思うとき、ゆったりしていて急 に素早くかかり先手をとること。うわべは強く素早くしながら、心に余裕を残して先手をとること。また、自分の心をどれほども強くし そば (気力を充実させ)、足は普通より少し速く、敵の側によるなり攻め立てて、 先手をとること。また、心を放って気を放って、闘志を放って)、戦いの序 盤・中盤・終盤まで、一貫して敵を押しつぶすつもりで、徹底して強 い意志を持って勝つこと。これはいずれも「懸の先」である。

第二、「待の先」。

敵が自分の方へかかってくるとき、少しもかまわ ず弱いように見せかけて、敵が近くなってきたら、突然勢いよく大き く離れ、飛びつくように見せかけて敵の弛みを見て、すかさず強く勝つこと。これが「待の先」の一つである。また、敵がかかってくると き、自分もまた強く出て、敵の拍子が変わる瞬間をとらえ、そのまま 勝ちを得ること。これが「待の先」の理(考え方)である。 

第三、「躰々の先」。

敵が早くかかってくるときには、自分はゆっくり強くかかり、敵が近くなったら、突然諦めた姿勢をとって、敵がゆとりを見せた時、すかさず強く勝つこと。また、敵がゆっく りかかってくるとき、自分は軽やかに少し早くかかって、敵に近づき 一と攻めし、敵の反応を見て強く勝つこと。これが「躰々の先」であ る。これらのことは細かには書きわけがたい。この書付をもとに大方 工夫すべきである。

この三つの「先」は、時にしたがい、理にしたがい、いつも自分からかかっていくことではないのであるが、同じことなら自分の方から かかり、敵を自由にあやつりたいものである。いずれも先手をとるこ とは、兵法の智力をもって必ず勝利を得ることで、よくよく鍛錬すべきである。


一 枕を押さえるということ。「枕を押さえる」とは、頭を上げさせないという意味である。 兵法勝負の道に限っては、敵に自分があやつら れて後手をとることはよくない。何としても敵を思いのままにあやつ りたいものである。それゆえ敵もそのように思い、自分にもその気持 ちはあるけれども、相手のすること(法)を承知 (察知していなくて しょうち かな は叶わない。兵法(戦い)では、敵が打ってくるところを止め、突くと ころを押さえ、組み付いてくるのをもぎ放したりすることである。 枕を押さえるというのは、わが実の道 (二天一流)を会得して敵と戦 まこと みち えとく うとき、敵が何事かを考えても、その兆候を、敵がする前に察知して、 ちょうこう 敵が打つという「う」の字の頭を押さえてその後をさせないというこ と、これが「枕を押さえる」という意味である。例えば、敵がかかる という「か」の字を押さえ、飛ぶという「と」の字の頭を押さえ、切 るという「き」の字の頭を押さえることは、すべて同じ意味である。

敵が自分に技をしかけてくるときには、役に立たないことを敵に任せ、役に立つようなことは押さえて、敵にさせないようにするのが、 兵法では大事なことである。これも敵のすることを、押さえよう抑え ごて ようと思うのは後手である。まず、自分は何事も兵法の道理にまかせ て技をしかけながら、敵も技をしかけようと思うところの頭を押さえ て、何事も役に立たせず、敵を思うままにあしらうこと、これが兵法 たつしや の達者であり、鍛錬の結果である。枕を押さえることを、よくよく吟味しなければならない。


一 渡を越すということ。「渡を越す」というのは、たとえば海を渡るには瀬戸(潮流の激しい海峡)というところもあり、または四十里、五十里(約一六〇~二〇〇キロメートル)もある長い海(海路)を越えるところをも「渡」(難所)というのである。人が世を渡るにも一生の内には、渡を越すということが多いことであろう。船路にあっても、その渡の場所を知り、舟の規模や性能を知り、日の善し悪し (吉凶)をよく知って、 友舟は出さなくてもその時々の状況に応じて、あるいは横風を受け、あるいは追い風を受け、もし風邪が変わっても、二三里であれば魯や櫂を漕いで港に着くつもりで、船を乗りこなして渡を越すのである。その趣旨を理解して、人の世を渡るにも全力をあげて困難を乗り越えようという意志が必要である。

兵法では、戦いのうちに渡を越すことが肝要である。敵の量 に応じ、自分の熱を自覚し、その道理によって「を越す」こと は、すぐれた船が海を越えるのと同じである。 困難を乗り越えれば一安心で「渡を越す」ということは、敵に弱みを生じさせ、自分の方には先手をとって大方は勝つのである、大小いずれの兵法においても渡を越すという気持ちが肝心である。よくよく吟味すべきである。

一 景気を知るということ。景気を見るというのは、合戦では敵軍の勢いの盛衰を知り、敵軍の心理状態を知り、その場の状況に応じ、 敵の様子をよく観察して、自軍をいかにしかけ〔るかを考え〕、この兵法 での理(作戦)によって確かに勝てるという自信を持って、先手の優位を 知って戦うことである。

また、一対一の戦いにおいても敵の流派を見分け、相手の強弱や人 柄(性格)を見分け、敵の気持ちと違うことをしかけ、敵の戦意や調子 の高低を知り、その間の拍子をよく知って、先手をかけることが肝 要である。それぞれの景気というものは、自分の智力が強ければ必ず見えるものである。 兵法を自由にこなせる身になれば、敵の心をよく洞察でき、勝つ方 法は多くなるものである。工夫しなければならない

一 剣を踏むということ。「剣を踏む」ということは、兵法で主として てつぼう 用いることである。まず、合戦においては、弓・鉄炮にしても、敵が こちらへ撃ちかけ、〔こちらが〕 何かをしかけるときは、敵が弓・鉄炮 などを撃ちかけて〔敵の矢玉が途絶えた」、そのあとでかかっていくので、〔敵は〕再び矢を番え、鉄炮に火薬を込めることによってまた新たになり、敵陣に押し込むことが難しくなる。〔そこで]敵が弓・鉄炮を撃ちかけているうちに、早くかかっていくことである。早くかかれば、敵 は矢も番えられず、鉄炮も撃てないものである。どんなことでも敵が しかけてきたら、すぐにその道理をうけて、敵のすることを踏みつけて勝つという意味である。

また、一対一の戦いでも、敵が打ち出してくる太刀のあとから打て ば「とたんとたん」という調子になって捗がいかなくなる。敵が打ち はか 出してくる太刀は、足で踏みつけるつもりで、打ち出してくるところ 〔打ち勝ち、二度目を敵が打てないようにすることである。踏むと いうのは、足に限るべきではない。体でも踏み、心でも踏む。勿論太 刀でも踏みつけて、二度目を敵にさせないように心得ること。これすなわち何事も先手ということである。敵と同時にといっても、ぶつ せん かるという意味ではない。そのままあとに取りつく気持ちである。よくよく吟味すべきである。

一 崩れを知るということ。「崩れ」ということはなにごとにもあるものである。その家が崩れる、身が崩れる、敵が崩れるというのも、時機にあたり、拍子違いになって崩れるのである。合戦においても敵がれる拍子をとらえて、その間(機)を逃がさないように追い立てる ことが肝要である。崩れるときの息(呼吸)を逃せば、敵が立ち直ることがあろう。

 また、一対一の戦いでも、戦っているうちに敵の拍子が狂って、崩れ目ができるものである。そのところを油断すれば、(敵は)また立ち直り、新たになって捗がいかなくなる。その崩れ目につけ込み、敵が はか 顔を立て直さないように、しっかりと追いかけることが肝要である。 追いかけることは、そのまま強い気持ちである。敵が立ち直れないように打ち放すのである。打ち放すということをよくよく理解すべきである。離れなければぐずぐずしがちである。工夫すべきことである。

一 敵になるということ。自分が的になり替わって考えよ、ということである。世の中には盗みなどをして家の中に立て篭もったようなものでもてきは強いもののように思い込むものである。敵の身になって考えてみれば世の中の人を皆相手として、逃げ込んでどうしようもない気持ちである。立て篭もったものは雉子であり。討ち果たしに来る人は鷹である。よくよく工夫すべきである。

合戦にしても敵といえば強いものと思い込んで慎重になるものである。しかし自分は常に有能な軍勢を率い、兵法の道理をよく知って敵に勝つところをよく承知していれば、心配することはない。
1対1の戦いも、敵の身に立って考えるべきである。兵法をよく心得て理に明るく、熟達したものに遭えば、必ず負けると思うものである。よくよく吟味するべきである。

一 四手をはなすということ。「四手をはなす」とは、敵も自分も同じ 気持ちで張り合う状態になっては、戦いは決着がつかないということ である。張り合う状態になると思ったら、すぐに考えを捨て(戦法を変 え)、別の手段で勝つことを知るのである。合戦にしても、四つに組んで張り合い気味になれば〔戦いは〕 捗らず、 はかど 士卒も多く損なうものである。早く戦法を変えて、敵の意表を突いた 方法で勝つことが大切である。また一対一の戦いにおいても、すぐに考えを変え、敵の能力をみて、格別変わった手段によ って勝ちをおさめることが肝要である。よくよく考えるべきである。

一 影を動かすということ。敵の心が読み取れない時の方法である。合戦においても、どうにも敵の勢力や動きなどが見分けられない時は、自分の方から強く仕掛けるように見せかけて、敵の戦略を見るものである。敵の手中を知れば、格段に有利になり、勝利が得やすくなる。
また一対一の戦いでも、太刀を後ろやわ気に構えている時は、不意にうとうとすれば、敵は思うところを立ちに表すものである。露見すればすぐに有利になって確かに勝つことが出来るものである。油断すれば拍子の抜けるものである。ようよく吟味するべきである。

一 影を押さえるということ。「影を押さえる」というのは、敵の方からしかけてくる様子が見えたときのことである。合戦の場合は、敵が作戦をしかけようとするところを「押さえる」といって、 こちらからその利(作戦・効果)を押さえる動きを強く見せることで、強さに押されて敵の考えは変わるものである。こちらも考えを変えて、虚心になり先手をとって勝つことが出来る。
一対一の戦いでも、敵の奮い立つ強い戦意を、利の拍子(効果的な拍 子)をもって止めさせ、止んだ拍子に勝つ利(手段)を見いだして、先 て 手をしかけるのである。よくよく工夫すべきである。

一 移らかすということ。「移らかす」というのは、何ごとにもあるものである。たとえば眠りなども移り、あくびなども移るものである。 時が移るということもある。合戦では、敵に落ち着きがなく、ことを急ぐようにみえるときは、少しもそれに構わないようにして、いかにもゆったりと構えてみせると、敵も自分のことのようになって気持ちが弛むものである。それ(ゆったりした気分)が移ったと思ったとき、自 分の方から、虚心になって、早く強くしかけて勝つ利を得るのである。

一対一の戦いでも、自分の身も心もゆったりと構え、敵の弛んだ隙 をとらえて、強く早く、先手をとって勝つことが大切である。また、 酔わせるといって、これに似た方法がある。一つは退屈な気持ち、一つは落ち着きのない気分、一つは弱気になる(これに酔わせて勝つのである)。 よくよく工夫すべきである。

一 むかつかせるということ。「むかつかせる」(腹を立てさせる)というこ とは何ごとにもある。一つには「危険と思わせること」、二つには 「無理と思わせること」、三つには「予期しないこと」〔をしかけること] かんよう である。よく吟味すべきである。合戦では、むかつかせることが肝要 どうよう である。敵が予期せぬときに激しくしかけて、敵の心の動揺が収まらないうちに、こちらが有利なように先手をかけて勝つことが肝要である。

また、一対一の戦いでも、はじめはゆっくりと見せかけて、突然強くかかり、敵の心の動揺 (高低)、働きに応じて、息を抜かず、そのま ま利をうけて勝つことが肝要である。よくよく吟味すべきである。


一 おびやかすということ。「脅える」ということは何ごとにもあるものである。思いもよらないものに脅えるものである。合戦の場合も、 敵を脅やかすことは眼前のこと(当然のこと)である。あるいはものの こぜい たいぐん 声(鳴り物の音)でも脅やかし、あるいは小勢を大軍にみせて脅やかし、 ふい また脇から不意を突いて脅やかすこと、これで〔敵は〕脅えるものであ ひょうし る。その脅える拍子をとらえ、その有利さによって勝つのである。 

一対一の戦いでも、体で脅やかし、太刀で脅やかし、声で脅やかし、 敵の予測しないことを不意にしかけて、脅えるところの利をうけて、 そのまま勝ちを得ることが肝要である。よくよく吟味すべきである。

一 まぶれるということ。「まぶれる」(まみれる、絡まる)というのは、敵 と自分の力〕が接近し、互いに強く張り合って(拮抗して)がゆかないとみたら、そのまま敵とひとつに絡み合い、絡み合っているうちの有利さを持って勝つことが肝心である。大勢の合戦でも一体一の戦いでも、敵と味方が分かれていて、互いに心が張り合い、勝負がつかないような時には、そのまた敵に絡まりあって互いにわけられなくなるようにして、そのうちに有利さを得、勝ち方を知って、確実に勝つことが大事である。よくよく吟味すべきである。

一 角に触るということ。何事にも強いものを押す時、そのまま真っ直ぐには押し込みがたいものである。合戦の場合も敵の軍勢を見て、張り出しの強いところの角を攻めることによって、優勢になるべきである。角が衰えるにしたがって、全軍も みな勢いがなくなるものである。その衰えていくときにも、やはり角々に注意して勝つ利を得ることが肝要である。
一対一の戦いでも、敵の体の角に傷を付け、その体が少しでも弱く くず たやす なり、崩れるようになれば、勝つことは容易いものである。このこと をよくよく吟味して、勝ち方を理解することが大切である。

一 うろめかすということ。「うろめかす」(うろたえさせる)というのは、 かつせん 敵にしっかりした心を持たせないようにすることである。合戦の場合 にも、戦場で敵の心理を推測し、こちらの兵法の知略によって、敵の うろた 心をそこかここか、ああかこうか、遅いか早いかと迷わせ、敵が狼狽 ひょうし えた状態になる拍子をとらえ、確実な勝ちを知ることである。
また一体一の戦いにおいては、こちらから臨機応変に色々の技をしかけ、あるいは打つとみせ、あるいは突くとみせ、または入り 込む(組み付く)と思わせて、敵が狼狽える様子をみて、思い通りに勝 つこと、これが戦いでは大事である。よくよく吟味すべきである。

一 三つの声ということ。「三つの声」というのは、初・中・後の声と ちゅう いって、三つに掛け分けることである。場合に応じて声をかけるとい うのは大事なことである。声は勢いであるから、火事などの際にも、風や波の中でもかけ、こちらの威勢を見せるのである。合戦の場 かさ 合にも、戦いの初めにかける声は、いくらでも嵩にかかって〔大きな] 声をかけ、また戦闘中の声は、調子を低く腹の底から出す声でかかり、 勝った後に大きく強くかける声。これが三つの声である。

また、一対一の戦いでも、敵を動揺させるため、打つと見せて頭から 「えい」と声をかけ、声の後から太刀を打ち出すものである。また、敵を打ったから声をかけるのは、勝ちを知らせる声である。これを 「生の声」という。 太刀で打つのと同時に大きく声をかけることはない。もし、戦闘中にかけるならば、拍子にのる声を低くかけるので ある。よくよく吟味すべきである。

一 紛れるということ。「紛れる」というのは、合戦の場合には、軍勢 互いに対峙して、敵が強いときは、紛れるといって、敵の一方へ攻めかかり、敵が崩れるとみたら捨てて(深追いせず)、また強い方へ強い 方へと攻めかかる。だいたいつづら折りに攻めかかる気持ちである。 一人で戦うとき、敵を大勢相手にするときもこのことは大切である。 あちこち勝ち抜く(部分部分で決着をつける)のではなく、あちこち逃げれ ば、また強い方にかかり、敵の拍子をみて、うまい具合に左・右とつ づら折りのように攻めることを考え、敵の様子を見渡してかかるので敵が強いときにはその気持ちである。紛れるというのは、1歩も退くことなく、紛れ込むということで、よくよく分別すべきである。

一 ひしぐということ。「拉ぐ」(潰す)というのは、たとえば敵を弱く つぶ みなし、自分が強いと思って押し潰すという気持ちが大切である。合 せん おおぜい 戦の場合にも、敵の少人数を見下し、または大勢であっても、敵がう ひし さ ろたえて弱みをみせたならば、拉ぐといって、最初から嵩にかかって 押し潰すということである。潰しかたが弱いと盛り返されることがある。手のうちに握って潰すという気持ちを、よくよく分別すべきであ ある。その敵の状況を見て、〔敵中を〕 突きぬけるときには、少しも引 気持ちをもたず強く勝つ道理である。 また、 一対一の戦いでも、自分より未熟なもの、または敵の拍子がちがって逃げ腰になるとき、少しも息をつかせず、目を見合わせないようにして、一気に潰してしまうことが大事である。少しも立ち直らせないのが第一である。よくよく吟味すべきである。 

一 山海の替わりということ。「山海の替わり」というのは、敵と たびたび 戦ううちに、同じことを度々するのは悪いということである。同じ ことを二度するのはやむを得ないとしても、三度とするものではない。 敵に技をしかけるのに、一度で用をなさないときは、もう一度急きか けても効果がなければ、まったく違ったことを不意にしかけ、それでもがいかないときには、またもっと違ったことをしかけるべきであ やま うみ る。それゆえ、敵が山と思えば海としかけ、海と思えば山としかけるのが、兵法の道である。

一底を抜くということ。敵と戦うとき、兵法の利技や戦法)によって表面上は勝ったように見えても、敵の戦意 まで絶えさせなかったため、表面的には負けても、心の底までは負け ていないことがある。そのような場合は、自分が急に気持ちを替えて、 しんそこ 敵の闘争心を絶やし、敵が心底負けた気持ちになるところを見届ける ことが大事である。この底を抜く(戦意を喪失させる)ということは、太 刀によっても抜き、また体でも抜き、また心によっても抜くことがあ ひとつみち くず る。一道(通り一遍)に理解すべきではない。心底から崩れた敵には、 警戒心を残すに及ばない。そうでないときには警戒心が残る。警戒心 が残るようでは、敵は崩れにくいものである。 たんれん かつせん 合戦でも、一対一の戦いでも底を抜くということをよくよく鍛錬す べきである。 新たになるということ。

一 「新たになる」ということは、敵と自分が離れるような状態になって、決着がつかない場合には、自分の気持ち を振り捨てて、物事を新しく始める気持ちになって、その拍子を受け て勝ちを知ることである。新たになるということは、どんなときも敵 と自分がきしみ合う状態になったと思ったら、直ちにこちらの気持ち ただ を変え、まったく別の手段によって勝つべきだということである。
合戦においても、新たになるということをわきまえることが大切で ちりよく ある。兵法の智力をもってすれば、即座に理解できるものである。

一 鼠頭牛首ということ。「鼠頭牛首」というのは、敵と戦ううちに、 もつ 互いに細部にこだわりあって、縺れるような状態になったとき、兵法 の道をつねに鼠頭牛首、鼠頭牛首(小さな鼠の頭から大きな牛の首)と考えて、 いかにも細かい注意のうちに、急に大きな気持ちになって、大小を入れ替える(局面の転換を図る)ことで、兵法のこころがけの一つである。 

平生人の心も、 頭牛首と心得るべきことは、武士にとって大事なことである。 合戦でも、一対一の戦いでもこの心得から離れてはならない。このことはよくよく吟味すべきものである。

 一 将、卒を知るということ。「将、卒を知る」というのは、いずれも へいそつ 戦いになるとき、わが思う道(二天一流) では、絶えずこの方法をおこ ない、兵法の智力によって、自分の敵というものはみな自分の兵卒で あるとみなして、思いどおりにしようと心得、敵を自由にあやつろう と思うことで、自分は将であり、敵は兵卒である。 工夫すべきである。

一 つかを放すということ。「東」(太刀へのこだわりを捨てると むとう いうことにはいろいろな意味がある。無で勝つ意味もあり、また太 刀をもっては勝てない意味もある。さまざま思いつくことを書き記すことでもない。よくよく鍛錬すべきである。

一 巌の身ということ。「巌の身」というのは、兵法を会得して、忽ち 巌のようになり、万事当たらず(どんな攻撃も通じず)、〔何ごとにも動じな くでん いことである。口伝する。


これまでに書き付けたことは、二天一流剣術の場で、絶えず思い当たることのみを言い表したものである。今初めてこの兵法の道理を書き記すもの故に、前後が書き紛れている感があり、細かには表現しにくい。

しかしながら、この道を学ぶ人のためには、道標になるであろう。 自分は若いときから兵法の道に心がけ、剣術一通りのことにも手を鍛 え、体を練り、いろいろさまざまの気持ちになって、また他の諸流派を調べてみたけれども、あるいは口先で言いくるめ、あるいは小手先でこまやかな技をし、人目(素人目)には良いように見せているけれども、 一つも実の兵法の心にあるべくもない。勿論このようなことを修行しても、 体を利かせる(身をこなす)練習になり、心を利かせる(働かせる) 養になるとは思うけれども、皆これが兵法の病弊となって、後々までも消えがたくなって、兵法の道が世に朽ち、道が廃れる原因となる。

剣術が実の道となって、敵と戦って勝つこと、この法はいささかも変わるはずはない。わが二天一流兵法の智力を会得して、正しい道を修行するならば、勝つことは疑いないことなのである。

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