会社員だった私のキャリア

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今朝、会社員時代の私のことを書きました。
しかし、この一番長く波乱万丈だった会社員の私のことは、まだほとんど書いていません。

以前、サマセミの立食パーティだったか、私の経験を少しお話した時に、その話をぜひ聞かせてほしいと頼まれたことがあります。
講演会形式でやってほしいと…。
まだ実現していません。
それを私はアウトプットしたいと、ずっと心に秘めてきました。
講演会をするのか、本にするのか…。

人々の健康のことばかり考え、その想いを発動する度に、3年待たずに止められました。やることが早過ぎて、事業撤退後数年して時代が追いついてきてた感じ。そんなの会社は待ってくれません。
でも、私はあきらめませんでした。
だから、いろんな経験をさせてもらった。
飛ばされるから、いくつかの部署で、いろんなことをやった。
でも、それらすべては、みんなが健康で元気でいてほしいとの想いからなんです。
研究開発が一番長い。
でも、製品企画、販売促進、マーケティング、学術、法務、知財、サービス、監査…も。
自分が研究し、市場リサーチし、発明し、特許も取り、開発したものを製品開発の人たちと一緒になって製品にする。同時に、その学術的裏付けも取り、販促企画を立ててプロモートする。直接販売はしていないけれども、学会展示を企画して、展示に立ち会い、案件を取って、訪問する。そこで商談をまとめて、営業マンに販伝を切ってもらう。
産学共同研究もいくつか手掛け、自分で法務関係の書類も整備したな。
日本全国、アメリカや中国まで行ったこともある。
購入してくれた方々が、人々の健康をサポートしてくれると信じてた。
生きがいを感じてやってましたね。

でもね、悲しいかな55歳手前で監査に移され、私が創ったものは次第に製造販売中止になっていきました。
そんな会社が、私は好きではありませんでした。
なにより、上の顔色ばかり見ている人が力を持って事業を牛耳る。
とってもストレスフルでした。自分自身を痛めつけていましたね。

だから、会社員最後のステージでは、監査人の立場を逆手にとって、私はストレスチェックで職場環境の悪いところに訪問し、今度は組織開発をやって、社員を元気にしたいと思った。それがひいては会社成長のためだと信じて。
会社の掲げる行動規範「働きやすく働きがいのある職場づくり」ができていない管理者に率先して関わりました。
けどね、言われましたよ。
理想論だって。
社員が言うことなんて勝手なことばかりだ、こんなことして、余計に職場が悪くなるんじゃないかって。
いまの状態でいいんですか?これで業績は上げられるんですかって言い返してた。
そしたら、上司が止めにかかるの。あくまで横地個人の意見ですからって。
悔しかった。
でも、そのやり取りをどこから聞いたのか、職場で悩んでいた人たちから感謝のメールが寄せられた。
よく言ってくれたって。
それで、私は懲りもせず、トップにまで進言するんです。
この時は、同席した次期上司から、後でこっ酷く叱られたな。
それから間もなく、その叱った彼が部署のトップになったのね。
それで、やっと部署の責任を感じたのか、あんたの言ってることは正しいわって。
さらに、役定で平社員になってた私を管理職に戻したの。指導してくれって。
この時は驚いたな―。
だから、最後は存分にやりたいことができたんだけど、それも長くは続かなかった。

入社して3度目のリストラ。多くの社員が辞めていったの。
監査人だった6年半、延べ850人ほどの社員、グループ会社の人たちのお話を聴かせてもらって、すごく学ばせてもらいました。それぞれの人生に関われて、しあわせでした。
私が辞める時、そんな人たちから、温かいメールもいただいた。理想論と切り捨てていた管理者の人たちが、最後には、こういう監査をもっとやってほしかったに変わってた。そういうメールを受け取った時、私はやり切ったと満足して、会社を退職することができたんです。

数えると3度のパワハラに遭い、13回のどん底を味わっています。3度入院し、その1度は交通事故。おもしろい人生ですよね。
この1つ1つの経験が、誰かのお役に立てるのではないかと思っているんです。
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