それから、A太くんは必死でリハビリをした。
腰椎の脊髄損傷だったため、装具を使えば将来的には歩くことができるようになるかもしれないと医師は話していたが、本人には言わなかった。
中途半端な期待は叶わなかったときに絶望にかわりやすいからだ。
A太くんは一年後、装具を使って歩く練習をしていた。
A太くんは事故後もずっと前向きだった。
院内を車椅子で散歩していたときに少し話してくれたことがある。
「僕が泣いたり諦めたりしたら、お母さんはもっと泣くでしょ?僕、男だし。それに、車椅子サッカーでオリンピック選手になりたいんだ!」
私は聞きながら涙が出てしまったけど、できるかぎり力になりたいと思った。
それから転院してしまったのでわからないけど、いつかパラリンピックで彼の名前が出てくることを楽しみにしたいと思う。
※個人情報保護のためもりもりにフェイクを盛り込んでおります。
次回、車椅子スポーツについて(有料記事)