衝撃の瞬間 5

記事
コラム
訪問リハビリ中にMさんが脳梗塞を発症してから3ヶ月。
奥様からの連絡はなかった。
Mさんの家の前を通ったりもしたけれど、勤務中に私的によることもできないし、勤務外で個人情報を出すことはもちろんできない。
辛抱強く、連絡がくるのを待った。

発症してから6ヶ月後。
Mさんのケアマネージャーから連絡が入った。退院するので、サービスを利用させてほしい、と。
申し送り書を読み込んだ。

そして、利用開始前の担当者会議に出席した。

Mさんは、・・・重度の後遺症が残っていた。
・片側は弛緩麻痺(動かない)
・言語障害(しゃべれない)
・意識障害(自分の意思とは関係なく寝てしまう)

私が訪問すると、奥様に抱きしめられた。
「ありがとう。あなたがいなかったら、助かっていなかったかもしれない」
奥様と子供、孫たちはどんな姿であっても…
生きていてくれたらいいと願っていたそうだ。

手術を担当したDrいわく、奇跡的らしい。
私も提供してもらった頭部の画像を見せてもらったが、脳梗塞はとても広範囲で、命が助かったのは本当に奇跡だと思うほどだった。

Mさんは身長も高く、やや恰幅のよい方。
奥様は小さくて細身の方。

更衣も排泄も介護が初めての奥様にはとても大変であろうことが予測された。
そのため、サービスを最大限に活用して負担を減らし自宅で生活できるように計画された。

私たちリハビリもほぼ毎日入り、刺激を続けた。
それから半年。発症から約一年後。

Mさんは自分で座っていられるようになった。
食事も3割ほどは自分で食べられる。
単語だけれど、会話もできるし笑顔もある。
意識を保っている時間も長くなった。

退院直後に見た娘さんは、一年後のMさんを見て、
「夢みたい」と言った。

急性期から回復期のリハビリについては詳細を記載しないが、Mさんに一日中話しかけ、慣れない介護をし続けている奥様の努力の結果なのだろうと思う。

残念ながら諸事情により退職してしまったためMさんがそれ以降どうされているのかわからない。

忘れらない衝撃的な瞬間だった。

Mさんは野球が大好きだった。
とりわけここ数年応援していたのはメジャーリーグの大谷選手だった。
大谷選手が頑張ることで、勇気づけられている人がここにもいるんだな。

おわり
※個人情報保護のため、フェイクを交えています。

次回、応急処置について(有料記事)
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す