正しい逃げ方

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「最後まで諦めるな!」
「逃げるな!」
「頑張れ!」

などと無責任に言う人がいるが、僕はあえて逆を言う。

「諦めろ!」
「逃げろ!」
「頑張るな!」と。

たとえば、地震や火事などが起こった時、
キミならどうする?どう思う?どう行動する?

お金や家財道具など、すべてを持って逃げるか?
そんなことできるはずがない。
それとも、すべてを失いたくないからといって、
家の中でずっと我慢して居続けるか?

やめとけ、死ぬぞ。
すぐに逃げろ。

これはあくまでもたとえだが、
無責任に「最後まで諦めるな!」「逃げるな!」「頑張れ!」
と言ってる人は、これに近いことを言っている。
地震や火事が起こっても我慢しなさいと。
僕の知り合いに、こんな人がいる。

「今の仕事は休みも取れないし、長時間労働だし、人も入ってこない。
辛くて苦しくて、朝も起きるのが嫌で仕方ない。」と言う。

なので、「そんなに嫌だったら辞めたら?」って僕が言うと、
「せっかく就職できたのにもったいない。社会人はみんな我慢してる
から我慢しなさい。って両親に言われるんです。」と答える。
それで、今もまだその仕事をしている。

ろくに考えもしないで、
「最後まで諦めるな!」
「逃げるな!」
「頑張れ!」
って無責任すぎやしないか?

大切なのは、
「最後まで諦めないことそのもの」
「逃げないことそのもの」
「頑張ることそのもの」ではなく、

「”なんのために”最後まで諦めないのか」
「”なんのために”逃げないのか」
「”なんのために”頑張るのか」
ではないだろうか?

「ダイエットの目標達成」のために頑張っているのなら、
食事制限や運動が多少きつくても、頑張ることは喜びにもなる。
「愛するわが子の笑顔」のために頑張っているのなら、
苦しいときもその笑顔に救われる。だから、頑張れる。

しかし、”なんのために”がひとつもなかったとしたら、
頑張ることになんの価値がある?どこに充実感がある?

無責任な人たちは、「何を目指して頑張るのか?」
ということなんか1ミリも考えもせず、ただ、
「最後まで諦めるな!」「逃げるな!」「頑張れ!」と言う。

僕らは、幼いころに「逃げ方」を教わらなかった。
誰も教えてくれなかった。

そりゃそうだろう。
大人たちも、みんな逃げ方を知らなかったから。
「頑張ること」しか教えてくれなかった。
みんな、頑張ることが正義だと信じていたから。

その結果、追い詰められて、いよいよもうダメだという時に、
自らの命を絶つという選択しか思い浮かばずに最期を迎える。

逃げ方を知らないから。

逃げるという選択肢が、
全く許されないような教育に洗脳されてしまっている。

だから、僕はキミに「正しい逃げ方」を教えたい。

もし、キミが今、逃げられずにいるのなら、
行き場所がないのなら、いつでも僕はここにいる。

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