すべての出会いは「与えるため」にある。
プレゼントをもらえれば、それは誰でも嬉しい。
でも、愛する誰かのためにプレゼントを選び、その人が喜んでくれる顔を想像しながらプレゼントを大事に抱えて帰っている時ほど、幸せな瞬間(とき)はありません。
どれだけ高価なプレゼントを持っていたとしても、それを受け取ってくれる人がこの世にひとりもいなかったとしたら、そのプレゼントになんの値打ちがあるのでしょうか?
たとえ安い物しか買えなくても、それを受け取ってくれた人が感激して涙を流してくれるほど喜んでくれたとしたら、どれほど幸せな気持ちで満たされるでしょう。
僕の大好きな曲の一つに、B’zの「いつかのメリークリスマス」という曲があります。
その歌詞の一部を紹介します。
「僕は走り 閉店まぎわ 君の欲しがった椅子を買った。荷物抱え 電車のなか ひとりで幸せだった」
人間にとって、
「与えられる人がいる」
ということ以上に幸せなことはありません。
「情けは人のためならず」という言葉があります。
「人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなくやがてはよい報いとなって自分にもどってくる」と。
ですが、そうではないと僕は考えます。
「与えることそのもの」がすでに幸せであり、すべての出会いは、与える喜びのためにある。
どれだけ素晴らしい才能を持っていたとしても、それを受け取ってくれる人がひとりもいなかったとしたら、その才能にどれほどの値打ちがあるのでしょうか?
キミは、歌が得意だとします。
その歌を聞いてくれる人が、この世にひとりもいなかったとしたら?
キミは、料理が得意だとします。
その料理を食べてくれる人が、この世にひとりもいなかっとしたら?
キミは、サッカーが得意だとします。
その試合を見てくれる人が、この世にひとりもいなかったとしたら?
どれだけ才能にあふれていたとしても、そのあふれる才能によって幸せにしてあげられる人がこの世にひとりもいなかったとしたら、そのあふれる才能になんの価値があるのでしょうか?
どれだけ立派な仕事に就いたとしても、その仕事によって幸せにしてあげられる人がこの世にひとりもいなかったとしたら、その仕事になんの価値があるのでしょうか?
どれだけ愛情深い人でも、その愛を受け取ってくれる人がこの世にひとりもいなかったとしたら、その愛はいったい何になるのでしょうか?
今、これを読んでくれているキミがいるからこそ、僕は存在する意味と幸せを感じられています。
このブログを読んでくれているキミ、ありがとう。
キミがいるから、僕は幸せを感じることができています。
いつも応援ありがとうございます。
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