プライドからの脱却8

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気持ちの持ちよう

 カツラを付けていた20年間とカツラを取ってからの15年間を比べてみると、全くの別世界です。日々他人の目線に怯えていたあの頃と、解放感に満たされた現在は、比べ物になりません。
 カツラを付けていた頃は、ハゲている事を恥ずかしいと思っていましたが、ハゲている事で人を笑わせる事ができると知った今では、メンタル的にも大分楽になりました。
 人に笑われる事を恥ずかしいと思うか、人を笑わせる事ができるという事に自信を持てるかは、気持ちの持ちようです。
 私が自分の持っているプライドを捨てようと決心したのは、実はこの時ではなく、それから約10年後のことになります。確かにカツラを取るという事は、一つのプライドを捨てたことになります。しかしそれで全てのプライドを捨てられた訳ではなかったのです。

プライドとは

 プライドが全く必要ないのかと言われると決してそうではありません。時には必要なプライドもあります。これは間違いありません。プライドは自分を鼓舞するときに必要不可欠ですし、自分に自信を持つためにはとても大切な物でもあります。
 私が言う「プライドからの脱却」のプライドとは、人生において必要のないプライドです。そのプライドの事を時には承認欲求と呼ぶこともあります。
 承認欲求とは、マズローという心理学者が提唱した「マズローの5段階欲求」の4番目に位置付けられた欲求です。ちなみに1番目が食事や睡眠などの人間が生きていくための本能的な欲求で「生理的欲求」と言います。2番目が身の危険から脱したいという「安全の欲求」。3番目が集団に所属したり仲間を得たいという「社会的欲求」。そして4番目が「承認欲求」で他人から認められたいと願う欲求です。5番目の欲求は「自己実現の欲求」となり第1から第4の欲求が満たされた場合に発生するもので、自分が満足できる自分になりたいと願う欲求です。

承認欲求の欠如

 プライドが高い人は、傾向として承認欲求が実現できていない場合が多いと思います。例えば、何かにつけてマウントを取ってくる人がいますが、この人こそ承認欲求が足りていない典型です。自分に自信がないから、他人に認めてもらいたいという気持ちが隠れているのです。他人に自分の弱さを見せたくないので、自分はすごいんだと相手にマウントを取ろうとするのです。あなたが誰かにマウントを取られたら、この人は承認欲求が足りていないんだなと思って下さい。そう思えるだけで少しは楽に生きられると思いますよ。


次回は、私がカツラを取ってからプライドを捨てるまでの事をお話ししたいと思います。よろしくお願いいたします。

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