「生命倫理と死生学の現在⑫」 ~人は何のために生まれ、どこに向かっていくのか~

記事
学び
(4)「終末期医療」から発達した「死生学」の奥深さ
③「人生論」「人間学」は「死生学」を必要とする

『パイドン』~プラトンの著書で、副題は「魂の不死について」。ソクラテス亡き後、弟子のパイドンが哲学者エケクラテスにソクラテスの最期の様子を語るという形式で書かれています。イデア論と霊魂論(プシュコロギア)が初めて登場する重要な哲学書です。

『国家』~プラトンの主著。イデア論を中心に、魂の三分説と国家の三階級を連動させ、四元徳で連結しました。これにより、個人の教育と哲人政治の実現が連結され、後世のユートピア文学や共産主義にも多大な影響を与えました。また、末尾にある「エルの物語」は、エルが死後12日間に渡って体験した臨死体験という体裁で語られる霊界探訪物語としても知られます。

諸法無我~ガウタマ=シッダールタの主要な悟りである「四法印」の一つで、変わらない自己の本質というものはないということを指します。それ自体で存在するような恒常不変の実体は何も無く、存在するものを固定的に捉えてはならないとすることです。

常見~絶対的な我が生まれ変わり、死に変わりして輪廻転生するという考えです。元々バラモン教の思想であり、ガウタマはこれを否定しましたが、仏教説話が量産される中で、いつの間にか仏教思想の中に取り込まれていきました。

断見~死ねば肉身は土に帰って、存在は無に帰すという考えです。ガウタマ当時の自由思想家(六師外道)の中にも見られる唯物論的な思想でありますが、ガウタマはこれを否定しました。

『往生要集』~恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)が様々な経典を参照して、極楽浄土や地獄について述べたもので、その生々しい地獄描写は人々を念仏信仰に導くための脅しでもありましたが、霊界について探求するスピリチュアリズムの観点からは、ダンテの『神曲』やスウェーデンボルグの『霊界日記』などと共によく研究、引用されます。
 源信は、延暦寺中興の祖にして第18代天台座主である元三大師(がんざんだいし)良源の弟子であり、日本浄土教の祖として、親鸞が定めた浄土真宗七高僧のうちの第六祖に挙げられます。横川にある恵心院に隠棲して念仏三昧の求道の道を歩み、恵心僧都と呼ばれ、時の最高権力者藤原道長も帰依しています。紫式部の『源氏物語』、芥川龍之介の『地獄変』に登場する横川の僧都は、源信をモデルにしているとされます。法然も源信の『往生要集』によって善導の浄土思想に導かれており、親鸞も『教行信証』の末尾で源信の徳と教えを称えています。浄土信仰を広めるのに大きく貢献した『往生要集』は、中国の天台山からも評価され、「日本小釈迦源信如来」と称号を送られるほどでした。

『仙境異聞』~本居宣長の死後の弟子を自称し、「国学四大人」の一人と呼ばれ、復古神道の創始者でもある平田篤胤が、神仙界を訪れ、呪術を身に付けたという少年寅吉(とらきち)からの聞書きをまとめたもの。篤胤は以前から異境や隠れ里に興味を抱いていましたが、寅吉の話により幽冥の存在を確信したとされます。

『葉隠』(はがくれ)~鍋島藩士山本常朝の著書。主君に対する絶対的忠誠とそれに根差した死の覚悟を説き、民に対する為政者としての自覚を求める士道(古学者山鹿素行)とは異質の武士道を示しました。『葉隠』は戦前には軍人必読の書とされました。
「武士道というは、死ぬことと見つけたり」(『葉隠』冒頭文)。

死への存在~存在論哲学者ハイデッガーは、人間は誰もが自分の死を引き受けなければならず、死の自覚を介して初めて、本来的な自己のあり方を獲得することができると考え、本来の自己へと至るためには、死への不安から逃避することなく、死への存在であることを自覚しなければならないとしました。

生きる意味~ロゴセラピー(実存分析、意味中心療法)創始者であるオーストリアの精神医学者フランクルの中心概念です。フランクルはユダヤ人であったため、第二次世界大戦中にアウシュヴィッツ収容所に送られましたが、死への恐怖や飢えにより精神的自由すら奪われてしまう極限状況での体験から、人間らしい生き方とは何かを探究し、生きる意味を見出すことの重要性を説きました。

●『夜と霧』(ビクトル・エミール・フランクル、みすず書房)
 第二次世界大戦中のナチスによるアウシュビッツ強制収容所での体験を、精神科医の目で記しています。著者フランクルは1905年に生まれ、ウィーン大学でフロイトとアドラーから精神分析を学び、神経症の理論と治療の研究に専念しますが、ナチス・ドイツがオーストリア併合後、彼がユダヤ人であることから一家は捕らえられてしまうのです。家族は強制労働の名目で集団的殺人組織・機構を持つポーランド南部のアウシュビッツに送られ、餓死または毒ガス室で死亡しますが、フランクル医師のみ強制重労働と極度の栄養失調によく耐え、終戦後にウィーンに生還しました。彼は精神病理学者として、人間が耐えられない極限状況に置かれた場合、精神はどのような変化をとげてゆくかを最後まで見届けて、その記録を残そうとひそかに準備したのであり、この「死の記録」を実存哲学者ヤスパースは「今世紀の最も重要な書物の1つ」に挙げています。アメリカ図書館協会も、同書は「歴史上これまで最も多く読まれてきた10冊の書物のうちの1つ」と発表しました。
 例えば、悲しみや苦しみの中に妻への愛の心の絆をイメージすること、また悲惨な状況の中での自然の美、同じ危機にある囚人同士の間でのユーモアのある言葉の交換、受身の死の受容ではなく死を自分のものにした心の境地(これはがん末期患者のホスピスにおける死の受容にも似たものです)、死にゆく仲間の囚人に対して医師としての魂の支え(信仰深いフランクルはそれを十字架として背負って生きました)、といったことがフランクルに生き抜く力を与え、彼は生の限界の中で生きる人間の意味づけを世に問い、訴えたのです。フランクルは1955年からウィーン大学精神神経科教授となり、精神分析に実存主義を取り入れ、人間の意識の深層における生きることを志向した精神的実存的人間の発見を意図して、人格的心理療法(ロゴセラピー)を創始し、理論と共に癒しの技の臨床に長年従事しました。

●『臨床死生学事典』(平山正美ら、日本評論社)
 社会人向け夜間大学院として出発した東洋英和女学院大大学院で臨床医学を学んだ50人全員が、死と生を考える本を出版しました。執筆担当者には看護婦、カウンセラーら臨床の現場で働く人の他、主婦、高校教員、牧師もおり、年齢も20代から60代と幅広く、テーマも死生学概論、生命倫理、医療と死など、193項目にも及ぶものとなっています。

●『奇蹟の生還』(マ-ロン・ジョンソン、ジョセフ・オルシャン共著、ソニ-・マガジンズ)
 自らもエイズ研究をする神経病理学者マ-ロン・ジョンソンのエイズとの闘いの記録です。1992年、エイズ患者の死体解剖をしていたジョンソンは、メスで指を切ってエイズに感染してしまいます。以後、自分の体を実験台にして独自の治療法を実践し、新薬を投与し、体を鍛え、自分の免疫力を監視する日々となり、薬の副作用が相当なものであるにもかかわらず、果敢に挑んでいった結果、ついにウイルスが検出されないという驚異的な結果が現われたのです。
 ジョンソンは並み外れた精神力と体力の持ち主であるわけではなく、感染者の誰もがそうであるように、死の恐怖や偏見・差別に打ちのめされてもいます。そして、それまで仕事一筋だった人生を悔い、人間としての幸せを探求し始めるのです。その切実な願いは女性と愛し合い、家庭を築くことでした。感染後のジョンソンは、人が変わったように積極的に周囲の人々と豊かな関係を持ち始めるのですが、そういった変化が彼に奇蹟を起こさせたのかもしれません。

●『生と死の現在(いま)』(読売新聞北陸支社編、桂書房)
 読売新聞富山・石川両県版で、1996年6月から1年3ヵ月にわたって「生命の尊厳」をテーマに連載したものを、1冊にまとめたものです。生んでくれた母への感謝の気持ちを詩に託す進行性の筋萎縮病患者、乳幼児突然死症候群で娘を亡くし、その死を無駄にしないように同じ境遇の家族を支える両親など、55の人間模様が取り上げられています。この連載は、優れた医療記事に贈られるフォルマシア・アップジョン医学記事賞特別賞に選ばれました。
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