教養としてのユダヤ教➀:ユダヤ教の特徴

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唯一神:ユダヤ教・キリスト教・イスラームの神は同一神であり、一切を超越した唯一絶対・全知全能の神であり、この世界を創造した創造神で、人格神という共通点があります。したがって、この三教は兄弟宗教とされます。また、ユダヤ教・イスラーム教では偶像崇拝が禁止されており、イエスに関してもユダヤ教ではラビ(教師)とされ、イスラーム教では預言者として尊重されていますが、キリスト教が三位一体説でイエス=神にしたため、決定的対立となりました。

裁きの神:厳しい裁きを行う神。

選民思想:イスラエル人は自らを神から選ばれた民族であると信じ、唯一絶対の人格神ヤハウェから与えられた律法に従うことで、神から祝福が与えられ、救済される(契約思想)という信仰を持ちます。

アブラハム:洪水審判を経た義人ノアの10代後の子孫で、神の命令を受けて、メソポタミア地方のウルからカナン(現在のパレスチナ)へ移住し、イスラエル人の祖となりました。正妻サラとの子がイサク、イサクの子がヤコブで、ヤコブが「イスラエル」(勝利した者)の称号を得て、その子孫がイスラエル人となり、アブラハムとつかえめハガルとの子がイシマエルで、その子孫がアラブ人となりました。ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教において「信仰の祖」と呼ばれます。

律法の書(トーラー):キリスト教で言う『旧約聖書』の根幹とも言えるモーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)、ユダヤ教の聖典。神との契約や選民思想、バビロン捕囚などの苦難の歴史が記されています。ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教はいずれも律法の書を啓典として持つ啓典宗教です。
(1)律法の書+『タルムード』(律法の注釈書)=ユダヤ教
(2)『旧約聖書』(律法=旧い契約)+『新約聖書』(イエスの福音=新しい契約)=キリスト教
(3)律法の書+『クルアーン』(新たな神の啓示)=イスラーム教

エルサレム:イスラエルの首都で、3教の聖地があることで有名です。すなわち、ソロモン王時代の神殿城壁との伝説に基づくユダヤ教の聖地「嘆きの壁」、イエスの処刑地に建立されたキリスト教の聖地「聖墳墓教会」、ムハンマドが昇天してアッラーに会ったとされるイスラーム教の聖地「岩のドーム」です。

モーセ五書の成立:モーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)は従来、モーセ一人の作とされてきましたが、創世記だけでも神をヤハウェと呼んだり(J資料。素朴で写実的な文体。人間と同じく園を歩かれる神が描かれる)、エロヒームと呼んだり(E資料。技巧的で荘重な文体。神の姿は見えず、威厳のある声だけが聞こえている)するなど、少なくとも4つの資料の合成体(あとの2つは申命記の原資料となったD資料と祭司資料であるP資料)であることが明らかになりました。今日、一般的に支持されているグラーフ・ヴェルハウゼン学説によれば、その成立・編集・意図がかなりの部分まで明らかになっています。
(1)BC922年にイスラエル王国が北朝イスラエルと南朝ユダに分裂した後、BC850年頃、南朝ユダの伝承を編集してJ資料が成立。
(2)BC750年頃、北朝イスラエルの伝承を編集してE資料が成立。
(3)BC721年に北朝イスラエルがアッシリアに滅ぼされ、BC650年頃、南朝ユダでJ資料とE資料が1つの資料に編集さました。
(4)BC622年に神殿から1つの律法の書(D資料)が発見され、これが南朝ユダのヨシヤ王の宗教改革(申命記改革)の理念となりました。
(5)BC587年に南朝ユダもバビロニアに滅ぼされ、バビロン捕囚となりますが、その際にこれらの資料も捕囚の地に持ち込まれました。
(6)バビロン捕囚末期に捕囚の地で新しい宗教運動が起こり、この時に祭儀に関する細かい規定などが書かれたP資料がまとめられました。P資料は神の権威と支配を訴える一方、排他的選民主義に貫かれており、このP資料を編集したグループがJ資料・E資料・D資料に手を加えて、総合的に編集し、BC450年頃にモーセ五書を成立させました。
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