戦後時代(20世紀後半~)の日本と世界の交流②

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④「個人的に言えば、私は今の日本人を好きだし、平均的な日本人も好きである。・・・特に若い人達は、世界で最も好感の持てる人達だと思う。欠点と言えば、彼らが戦争中の犯罪行為に対して見事なくらい無知で、日本がアジアの隣人達に恐ろしい苦痛を負わせてから三十年しか経っていないのに、過去を気にかけている様子がないことである。・・・日本の文部省は、それら一連の歴史上の事実を若者達に教えようとしない――何たることだ?・・・そんな連中が日本の行政内で高い地位を占めている現状では、世界の国々、とりわけ東南アジア諸国が、戦後三十年の日本を経済的には大人(たいじん)とは見なしても、人道的には小人(しょうじん)であると考えていることに、何ら不思議はないのである。」(B・レンガー『不思議な不思議なニッポン人』)

 レンガーとは「日本外国特派員協会」に加盟する複数の外国人記者の複合名です。知日派であることは言うまでもなく、妻帯者は全員日本人女性と結婚しており、その日本理解は相当なものであると言えますが、その彼らがこうした苦言を呈していることは心して聞くべきでしょう。

⑤「その文化、伝統、必要からして、日本の農民、職人は、西欧に資本主義制度と工業社会をもたらした、あのプロテスタントの倫理を想起させるような資質を持っている。勤勉で、消費を繰り延べても、まず貯蓄や投資を喜んでする能力である。」(米商務省報告『揺らぐ日本株式会社』)

 カリフォルニア州ほどの広さしかない国土で、天然資源はほとんどないといった地理的条件にもかかわらず、敗戦後の焼け野原からあっという間に西欧諸国を追い抜き、アメリカに次ぐ資本主義圏ナンバー・ツーに駆け上った日本の「高度経済成長」は注目の的となりました。米商務省報告では、その第一の秘密として、このようなプロテスタンティズムに共通する日本人の性格を挙げていますが、その最たる秘密は「政府と企業との内部協調関係」にあるとして、これを「日本株式会社」と名づけています。実際には国民総支出中の政府の比重は少ないのですが、日本では政府が経済に関与する部分が大きいというのは、「行政指導」の役割を重視した見方で、ここから「官民一体の日本株式会社」という考え方が出てきたわけです。これは「護送船団方式」とも呼ばれますし(当然、「アンフェアー・ジャパン」といったニュアンスがありますね)、日本ほど成功した「社会主義」の国はないとまで言われるほどでした(日本では戦争直後から「経済計画」を作っており、これは社会主義国の経済計画とは異なって、強制力は無く、政府の各省の長期計画の基準を与えること、民間の経済活動の参考とすることなどを役割としていましたが、西欧先進諸国で政府が経済計画を作っていたのは日本の他にフランスがあるだけでした)。また、日米半導体戦争が起きた時、「アメリカ製は日本製に比べて5倍から10倍も故障する」と半導体ユーザーであるヒューレット・パッカード社のアンダーソンが発言した時(これは「アンダーソンの爆弾」と呼ばれました)、日本に対する非難はピタリと止んだことも記憶に留めておくべきでしょう。

参考文献:『外国人による日本論の名著 ゴンチャロフからパンゲまで』(佐伯彰一・芳賀徹編、中公新書)、『世界の日本人観総解説 各国の“好意と憎悪”の眼が日本を見ている!』(自由国民社)、『日本経済の基礎知識』(金森久雄、中央経済社)
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