戦後時代(20世紀後半~)の日本と世界の交流①

記事
学び
①「日本とイギリスとの違いは、日本では社会構造の違いから「義理関係」がイギリスよりも一層しばしば現われ、個人の物質的福祉にとってもより大きいな重要性を持っていること、かかる関係の中で要求される行為も一層はっきりと形式化させられていること、そして「汝の隣人を愛せよ」とか「本心を語れ」とか「真理や正義を追求せよ」といった「普遍主義的な」責務よりも、かような「義理行為」を行う責務の方に、日本人の価値尺度ではより高い位置が与えられていることにある。」(ロナルド・P・ドーア『都市の日本人』)

 いわゆる「日本論」「日本社会分析」ではルース・ベネディクトの『菊と刀―日本文化の型』が有名ですが(同様にドイツを分析してみせたのがエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』であり、アメリカ自体を分析してみせたのがリースマンの『孤独な群集』です)、1度も日本の地に足を踏み入れることもなく、まことしやかに「日本文化の型」(例えば、日本人は「恥を基調とする文化」に属しており、西洋の「罪の文化」と対照的で、「彼はただ他人がどういう判断を下すか、その他人の判断を基準にして自己の方針を定める」といった考察を展開しています)を論じたことに対して批判的であったのがイギリス人社会学者ドーアです。ドーアは「時代を超えて存続し、あらゆる地域、あらゆる階級にしみわたっている、同質的な日本文化ないしは日本文化の型」などといったものは存在しない、とベネディクトを批判し、彼女がこれこそすぐれて日本的なものだと『菊と刀』で主張した「義理」の観念についても、分析的にみれば外国人であるイギリス人にとって不思議な要素は何もないと反論しています。
 ドーアは「日本人らしさ」というものを簡単に断定しようとはせず、「義理」についても、日本にあってイギリスなどの諸外国にはないものと特殊視するのではなく、その発現の頻度、形式化の度合、他の価値との相対的関係が独特であるに過ぎないと説明し、いわゆる「日本らしさ」を神秘化するようなことをしていません。つまり、日本社会の特殊性は、他の社会でそれぞれ特殊であるのと同じ意味での特殊性であり、説明不可能というようなものではないというのです。これはちょっとおもしろい日本理解ですね。

②「日本人が編み出した集団生活上の伝統と知恵とは、日本人の性格を、うわべを見る限りは人当たりがよく、温和なものに作り上げることに寄与した。彼らと比べた際には、欧米人は感情を平気で表に出すという点で、いささか荒っぽく、予測不能で人間として練れていないように見える。…
 確かにヒエラルキーは当然のこととみなされ、地位は確かに重要である。だが、階級意識は弱く、具体的な階級差はまことに少ない。ほとんど重要な側面において、日本はすこぶる平等な社会である。多くの点で、アメリカと肩を並べるばかりか、大部分の西欧社会よりもはるかに平等である。」(エドウィン・O・ライシャワー『ザ・ジャパニーズ』)

 ライシャワーはハーバード大学卒業後、日本、中国、フランスに留学し、円仁の『入唐求法記』の研究で学位を取ったアメリカきっての日本学者です。『ザ・ジャパニーズ』は一九七七年の刊行以来、ロング・ベストセラーとなっており、その根幹には次のような主張があるとされます。
「今や世界は深刻な問題に直面している。大きな潜在力を持っている日本であるだけに、問題解決への寄与を最大限にすべく努力しなければならない。このためには、日本は具体的な問題についての言語的な伝達能力を増進すると共に、自他との間により強い相互信頼と協力の精神を培っていくことが必要とされよう。・・・それは国連への熱意や、日本人がかねてから抱いてきた建前としての「国際主義」で片が付くものではない。やはり、彼らは隔絶感、違和感を超え、あえて厳しいことを言うなら、人類の仲間に加わる心構えをもっとはっきりさせる必要がある。世界と自分とを一体視し、その一員であるという自覚を深めていかなければならない。」

③「この空間の充実は、日本の文学や絵画に見られるものと同じである。心と心の真の対話に見られる「沈黙」である。我々欧米人は、明確な意識を持った個人として頭から頭へのコミュニケーションをすることに慣れている。これは感情を抑えて、意見の交換をするための条件だとみなされているからだ。日本人は決して抑圧されたり、固定化されたりすることのない、腹から腹の交流をするのだ。彼らは相互に論証し合うということをしない。なぜなら、大切なことは個人としてそれぞれが自分の意見を主張することではなく、相互に感覚的に理解し合い、相手を受け入れることだからである。内面からの光は、いわゆる主義主張よりも重みを持っているのだ。」(ロレンツ・ストゥッキ『心の社会・日本』)

 ストゥッキはスイス人で、本書の執筆目的は「日本に、今日の世界で唯一の非欧米的現代社会のあり方、我々欧米人がもう1つの可能性として学べ得るあり方を発見・提示」することにあるとし、「日本人の心情や生活のあり方をこれほど明確に、しかも読みやすく描き出した本は、ドイツ語圏では他に類を見ない」と数多くの新聞、ラジオの論評に取り上げられています。その中で、例えばあるスイス人が次のように語ったことを紹介しています。
「いつ果てるかもしれない会議の時間、しかもこの会議というのが漠然としたおしゃべりの続きに過ぎず、肝心の問題の周りを堂々巡りするだけ、そろいもそろって指導力の無い連中ばかりだ。これで会社がうまくゆくはずがない。こう我々は考えていたのです。ところが実際にこれをやってみると、何だか魔術みたいに何となくうまくいくんですね。そのくせ、我々のうちの誰かが西欧で学んだ経営学の通りに子会社を指揮してやってゆこうとすると、何1つ成功しないのです。」

参考文献:『外国人による日本論の名著 ゴンチャロフからパンゲまで』(佐伯彰一・芳賀徹編、中公新書)、『世界の日本人観総解説 各国の“好意と憎悪”の眼が日本を見ている!』(自由国民社)、『日本経済の基礎知識』(金森久雄、中央経済社)
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す