平安時代(8~12世紀)の日本と世界の交流②

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⑧「日本は古の倭奴(国)である。唐の京師(都長安)からは一万四千里、ちょうど新羅の東南(に位置している)。海中に島があって、そこで生活している。・・・その王、姓は阿毎(あま)氏、自ら言う。初めの主を天御中主(あめのみなかぬし)と言い、彦瀲(ひこなぎさ)に至るまで大体三十二世である。皆、『尊(みこと)』を号とし、筑紫城に居住していた。彦瀲の子である神武が立ち、そうして『天皇』を号とし、遷(うつ)って大和州を治めるようになった。・・・
 (子天智立つ。)明年、使者が蝦夷(えみし)人と共に(唐へ)入朝した。蝦夷人もまた、海中の島に居住している。(蝦夷の)使者の鬚(ひげ)は四尺ほどもあった。箭(や)を首にさしはさんでいる。人をして瓠(ひさご)を載せて数十歩離れて立たせ、(瓠を)射て当たらないということがなかった。」(『新唐書』日本伝)

⑨「(雍煕元年、北宋第二代皇帝太宗、984年)日本国の僧奝然(ちょうねん、東大寺僧、藤原氏)がその徒五、六人と海上より来て、銅器十余事と本国の『職員令』『王年代紀』を各々一巻献じた。・・・その風土を問うと、ただ書いて対(こた)えて言うには、「国中に五経の書及び仏教経典、『白居易集』七十巻があり、皆中国から得たものである。…国の東境は海島に接し、(そこは)夷人の居る所で、身面に皆毛がある。東の奥洲は黄金を産し、西の別島は白銀を出だし、以て貢賦としている。・・・」と。」(『宋史』日本伝)

 平安時代の日本にとって「蝦夷」の存在は悩みのタネだったようですが、この「蝦夷」が東アジアの国際的認識の視野に入ってきたのが、これらの史書に出てくる記録です。もうここには、日本の正史として『日本書紀』(720年完成)を定めた後の歴史観が反映されています。ここで北海道も津軽海峡も初めて認識されています。また、ここに出てくる「黄金産出」記事が「黄金の国ジパング」伝説を生み(実際、奥州藤原氏が宋に莫大な砂金を送り、「千僧供〔せんぞうく〕」を行なっています)、元を訪れたマルコ=ポーロを惹きつけたものと思われます。

⑩「勅を奉じ内宴に陪(はべ)る詩 一首
海国(かいこく)来朝 遠き方自(よ)りし
百年一酔 天裳(てんしょう)に謁(まみ)ゆ
日宮(にっきゅう)座外(ざがい) 何の見る攸(ところ、所)ぞ
五色の雲飛び 万歳に光る」(王孝廉)

 王孝廉は「海東の盛国」とうたわれた渤海(ぼっかい、高句麗の後裔)を代表する第一級の文化人で、814年に渤海使として来日した際、この詩を詠んでいます。実は王孝廉は遣唐使として唐に派遣されていたこともあり、その際に空海と知己となっています。この来日の際、空海は都を留守にして高野山にいたため、王孝廉は早速、高野山の空海宛に書簡と詩文を送り、空海もその喜びを述べると共に「使者の来るのが遅かったので、王孝廉の帰るまでに京に上れないことを残念に思う」という返事を送っています(『弘法大師年譜』『高野雑筆集』)。

 日本が遣唐使、遣新羅使を送り続けていたことはよく知られていますが、実は遣新羅使(新羅使と合わせると72回)までには及ばないものの、遣唐使(14回)以上に回数を重ねていて、渤海使と合わせれば49回にも及ぶ活発な外交交流を行なっていることが分かっています。後の江戸時代の朝鮮通信使もそうですが、盛んに漢詩の応酬がされ、筆談で会話が交わされ、才を競い合い、知的真剣勝負の火花を散らして少しでも先進文化を吸収しようと、接待する日本側文化人も必死でした。そこで何と言っても接待役に嘱望されたのはエース菅原道真です。彼なら対等以上にやりとりするだろうと思われたのです。当時、中国を中心とした漢字・漢文・漢詩文化圏が完全に成立していたことがよく分かりますね。
 あるいは908年に大使として来日した裴璆(はいきゅう、彼の父裴頲〔はいてい〕も2度にわたって大使として来日し、菅原道真の接待を受けた文人ですが、我が子裴璆のことを「我家の千里駒〔せんりのこま〕有り」と自慢していたと言いますから、これまた渤海を代表するエースと言えましょう)が最も感動したのは、一番年の若い接待役であった大江朝綱(おおえのあさつな)の文才に対してであったとされます。その裴璆が12年後に再び来日した際、早速、迎えの存問使(ぞんもんし)らに「江相公(朝綱のこと)は三公(日本では太政大臣、左右大臣を指します)の位に昇りしや」と尋ねたところ、存問使が「未だし」と答えたので、裴璆は「日本国は賢材(けんざい)を用いる国に非ざるを知る」と嘆いたと言います(『江談抄』『古今著聞集』)。当時は藤原北家による摂関政治が固められつつあり、裴璆が最初に出会った時の朝綱は若干22歳の青年で、12年後でもまだ34歳であったので、無理といえば無理だったのですが。

参考文献:『シンポジウム 邪馬壹国から九州王朝へ』(古田武彦編、新泉社)、『東アジア民族史2 正史東夷伝』(井上秀雄他訳注、平凡社)、『邪馬一国への道標』(古田武彦、角川文庫)、『失われた九州王朝』(古田武彦、朝日文庫)、『三国史記倭人伝 他六篇 朝鮮正史日本伝1』(佐伯有清編訳、岩波文庫)、『中国正史日本伝(2) 旧唐書倭国日本伝・宋史日本伝・元史日本伝』(石原道博編訳、岩波文庫)、『渤海国の謎 知られざる東アジアの古代王国』(上田雄、講談社現代新書)、『別冊宝島39 朝鮮・韓国を知る本』(JICC出版局)
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