読み手に負担を与えない文章を心がけましょう。①

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 まず理解しておかなければならないのは、「1人の採点者が何十人もの小論文に目を通さなければならない」という事実です。途中まで読み進めないと、何が言いたいのか分からない文章は、とにかく読み手に負担を与えます。

①参考にすべきはジャーナリストの文章。
 「文は人なり」と言いますが、書き方見本としては「ジャーナリストの文章」が最も使えます。ジャーナリストの鉄則は「華を去り、実に就く」(凝った文章表現を避け、言いたいことを正確に伝える)ですが、これは「読む側の視点」に立つことに他なりません。また、記者は自分が取材したことをなるべくたくさん盛り込んで書きたいものですが、編集過程でバッサバッサと削られてしまうので、最初に一番言いたいこと、書きたいことを持ってきて、後からどんどん補足する形を取るのです。したがって、「結論先行型」の文章になりやすいのですが、こうすると読み手にとっては実に読みやすい文章となります。また、こうした「結論先行型」の形式に慣れておくと、時間切れで書き切れなかったという最悪の場合でも、最低限、言わんとしていることは伝えられるというリスクヘッジ(危険回避)が可能になるのです。

②読みやすいのは「論理構成が分かりやすい文」「論理展開が読める文」です。
 名目上「論作文」「作文」と名がついていても、試験に出される場合は評価の対象となるので、「論文」と見るべきです。小論文は「小」なりといえども論文なので、「自分の意見を相手に伝わるように書く」もので、作文との違いは「客観的・論理的に妥当である」ということにあります。作文は基本的に自由に書いていいものなので、「主観的」なものですが、論文は「客観的」なものです。
 これは現代文の3ジャンル(評論・小説・随筆)のうち、評論と裏表の関係にあり、評論では「書き手の意見・思想を客観的・論理的にどこまで理解・把握できるか」という能力が問われるのですが、今度は読み手から書き手へとシフトすることになります。読書量が豊富な人は論文を書いてもレベルが高いことがしばしばですが、これは読み手としてのレベルが書き手としてのレベルに反映してくるからです。
 逆に論文の訓練をしていくと、評論の読解力・解釈力がアップしていきます。よく「現代文は勉強方法が分からない」「日本語だから読めるけど、取れる時は取れるし、難しい話だと全然ダメ」といった声が聞かれますが、現代文の勉強の中心はきわめて明確で、それは「客観的・論理的思考力」に尽きると言ってよいでしょう。これが最も端的に現われるのが評論であり、これが分からないと、ちょっと難しい問題が出された時に基本的読解能力がある人とそうでない人とがてきめんに分かれてくるのです。
 そして、この「論理的思考力」をつかむことが出来れば英語も数学も伸びるため(この基本3教科の試験の本質は一緒です)波及効果が生じます。したがって、現代文・評論と表裏一体の関係にある論文で、「論理構成」「論理展開」「論理的思考力」を訓練していくメリットは大きいと言えるでしょう。
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