脱・親教

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コラム
こんにちは!

アラカン介護職カウンセラーカウンセラー☆まっとです。


今日は僕を含め誰しもが入信しているか
入信していた宗教のお話です。


その名も”親教”(笑)


本当の宗教ではなく例え話として
読んで頂ければ幸いです。


ほとんどの人が自分の意思とは関係なく
生まれると同時に入信しています。


親教の教祖は親で教義は教祖によって様々です。


教祖にもその親という教祖がいたので
代々受け継がれている教義もあります。


教祖は信者の幸せを願い善かれと思い
教義を伝えていくのです。


入信したての信者はその教義が全て真実で
それを守ることで教祖からの愛を得ようと
します。


時としてその教義が生き辛さを生むことが
あるんです。


それを”固定観念”ともいいます。


自分は親教信者ではないと思っている人も
ネガティブな感情を掘り下げると固定観念の
存在に気が付くはずです。


自分の持つ固定観念に反する人や行為を目に
するとネガティブな感情を感じるのでは
ないでしょうか。


例えばお金に関して
・お金を稼ぐのは大変
・汗水流して稼ぐもの
などを信じていたとします。


すると
・肉体労働ではない稼ぎ方
・楽しそうに働いている
などは受け入れにくく感じるものです。


もちろんお金以外にも人間関係や生き方に
関しても同じことが言えます。


固定観念は誰でもありますが境界線が明確
過ぎると選択の幅が狭くなりますよね。


固定観念に基づいた選択の基準は
正しいか間違っているかです。


この判断基準に従うと
自分の固定観念の外側を間違いとだと
感じてしまいます。


それは”怒り”や”妬み”と云う感情を生み
それらの感情は生き辛を感じるからです。


なので出来ることなら固定観念に気付き
手放したいものです。


自分の固定観念に気が付くには
今回お話ししたネガティブな感情を
掘り下げる方法が有効です。


固定観念に気が付くと選択の自由が広がります。


それは”脱・親教”の一歩とも言えます。


親が善かれと思って言った一言が
言われた子供の生き辛さを生むこともあります。


もちろん我が子の生き辛い人生を望む親はいません。


ただその影響力は教祖に例えるほど
大きい存在だったということです。


今回の記事が生き辛さを生む固定観念を
手放し自分の人生を自由に生きる
きっかけになれば嬉しく思います。


最後まで読んで頂き
ありがとうございました。




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