なぜ?勉強をする必要があるのか?【再投稿7/9】

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ものごころつく頃から、勉強をしなさい。宿題をしなさい。と、
言われ続けて来たことを思い出します。

イヤイヤやっていた、無理やり「やらされていた」が、本音ですよね。

親の顔色をうかがって、いつまでやればいいのか、終わったら自由なのか。
毎日毎日、繰り返し、子供ながらの地獄だった。

どこかのタイミングで、覚えること、解き明かすことに喜びを感じて、
少しずつ、子供たちが地獄から解放されていく。
これが、自分で勉強をするということ、自主勉強の目覚め…ですかね。

どんな職業に就きたいのか、どんな大人になりたいのか、
何を目標にしたいのか。
自分主人公のストーリーを描き始める。そのために勉強をする。

これを気づかせるために、子供に勉強しなさいと、何度も繰り返し言う。
でもこのやり方では、なかなか気づかせてあげられない。
いやいや、気づかないでしょう。

なぜだろうか?

赤ちゃんは、今おなかが減った。おもらしした。機嫌が悪い。
いまのいまのいま、現状の出来事しか認識できない。

子供は、今楽しいこと、ゲームや動画を見る。おやつを食べる。外で遊ぶ。
いまのいま、これから楽しいことを、少しの未来だけ楽しむために考える。

少し大きくなると、過去の嫌なことを避けて、少し未来よりも、もう少し先の未来を楽しく不便なく、過去の間違いをしないように時間を過ごそうと考え実行する。

大人になれば、記憶のあるころから、今の自分、そして遠い未来の自分を
過去、現在、未来、すべての経験から最善を考えて行動する。

つまり、いかに、生まれてきてから短い時間で、過去、現在、未来を考えられるか、が「カギ」になるのではないでしょうか。

子供に勉強を教えるのは、単に問題を解かせるのではなく、
未来にどうなるのか、どうするのかを教えて、想像させることです。

自分主人公のストーリーを作らせることです。

無理やり、ゴールまで線路を引いて、汽車を走らせないでください。
行き先も、速度も、停車駅も決めないであげてください。

ゴールだけ教えて、小舟を海に浮かべましょう。
ゆっくり漕ぎ始めるまで、寄り道しても、止まっていても、遠くで見守ってあげてください。そして、荒れ狂う大波や、雷、災害、沈没しそうなとき、行き先に迷うときは、言葉はいりません。寄り添えばいいのです。

大人は、子供に愛を教えるのです。

そして、なぜ?勉強をするのか?

それは、家族、友人、すべての愛するひとを守るため、と…
気づかせるのです。

これが、大人の役目ではないでしょうか。


※カバー画像はすべて、私の撮影したものです。
他の画像も見て頂ければ、幸いで御座います。
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