私はずっと前からポジティブ・シンキングや前向き思考と呼ばれるものに、なんともいえない違和感を感じ続けていた。なぜなら、どこかこれらの言葉から、ネガティブな感情を持つことはいけないことだというメッセージを感じていたからだ。
ポジティブは本来、受容する意味合いも含んでいると思うのに、ネガティブに対してだけは否定しているところにも矛盾を感じていた。
一般社会においてはポジティブが良く、ネガティブが悪いという価値観が優勢である。誰かがネガティブな感情を持っていると、批判にさらされ、ポジティブに変えるように見えない圧力をかけられることが少なくない。
確かにネガティブな感情が続くと、様々な悪影響を本人が受けると同時に、周りの人間も何だか暗い重い気持ちになったりもする。
だからポジティブに変えるよう促すのも、一見すると本人のためのように思える。しかし、本当にそうだろうか…?本人のためと言いながら、実は自分が嫌な気持ちになりたくないから、ポジティブな方向に本人の気持ちを持っていこうとするところはないだろうか?
またポジティブになった方がいいと、頭ではほとんどの人は分かっている。しかし、それでもネガティブな気持ちになってしまうのは、なぜだろうか…?おそらくそこには、ネガティブな気持ちにならざるをえない、本人にしかわからない悲しい理由があるからではないだろうか。
ポジティブになることは正論かもしれない。しかし、多くの場合、正論は深い悲しみを持つ人の前では役に立たないようにみえる。
むしろ、その場合の正論は、深い悲しみにある人からすれば、自分が抱えている気持ちとの温度差を感じさせ、かえって傷つくだけの暴力になっていることも少なくないのではないだろうか?
「ポジティブ」や「前向き」という名の正義のもとに、その人が抱えている痛みや悲しみを無視して、思考を無理矢理に方向転換させることが本当にその人にとっての救いになるのだろうか…?
むしろ、その人が抱えているネガティブな思いの奥で、流れている涙に気づいてあげることの方が、よっぽどその人にとってポジティブなことだと思う…そんな気持ちになるのは、私だけなのだろうか…