書いてはいけないもの

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私は今年の冬からコラムと小説を投稿していますが、書いてはいけないものを書くことはまずありません。といっても売れるようになれば、そうもいっていられなくなるのかもしれませんが、幸いにも今はまだ全然売れない作家なので自由にテーマを設定できるのがいいですね。たとえば太宰治は師匠の井伏鱒二の放屁について平気で書いておりますが、私だったらまず書かないですね。特に書きたいテーマではないですし、ましてや深堀したくなるテーマでもありません。太宰に憧れる作家が多いと聞きますが、正直よくわからないですね。太宰はネタにはなりますが、特に尊敬すべき作家ではないし、もっとすごい作家がざらにいるとは言いませんが、私の中ではゴロゴロいます。書いてはいけないものとは好き嫌いでもタブーでもなく、書きたいという気持ちが微塵も湧いてこないものです。それは作家によって違うでしょうが、何でも書けばいいとは思いません。たとえば後味の悪い怪談を好き好んで話す怪談師がいますが、私には合わなかったんですね。私は怪談が好きですが、不思議と好きな怪談とそうでない怪談というか、好きな怪談師とそうでない怪談師に分かれるんですね。怪談は好きだけれどもどうもこの人はちょっと無理だと感じる人は滅多にいないんですがね。ごくまれにいます。なんで書かないものにこだわるかというと受けるとか受けないとかいう以前に思い切りが悪くなるからです。世間に受ける漫画というのは思い切りのいい漫画です。ということはその漫画の作者だってきっと描きたいものを描いていると思うんですね。イヤイヤ書いていていいものができるわけがない。自分が一番苦手な分野で勝負して勝てるほど世の中は甘くないですよ。誰が一番苦手な分野で勝負したいと思うでしょうか?そんな奴なんてどこにもいませんよね。私だってそうですよ。今は苦手克服なんてのほほんとしていられるような甘っちょろい時代じゃないんです。昭和の高度経済成長期であれば、その程度でも通用したでしょうが、今は個人に求められるレベルがものすごく上がりました。団塊の世代どもが今だに理解できないのはこのあたりの時代の違いです。私がアイドルを書かないのは魅力を感じないからですが、それ以前にファンが大嫌いだからです。そういうものを書こうとは微塵も思わないし、書いたら自分が嫌になるし、誰のためにもならない。書いている自分が楽しくない小説なんて誰も読まないですよ。今さらアイドルなんて時代遅れだし、書きたい奴がいれば、そいつが書くべきです。

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