教室はまちがうところだ

記事
学び
        北村敦

「教室は まちがうところだ。 
 みんなどしどし 手を上げて、 
 まちがった意見を 言おうじゃないか。 
  まちがった答えを 言おうじゃないか。 

 まちがうことを おそれちゃいけない。 
  まちがったものを ワラっちゃいけない。 
 まちがった意見を まちがった答えを、 
  ああじゃあないか こうじゃあないかと、 
  みんなで出しあい 言い合うなかで、 
  ほんとのものを 見つけていくのだ。 
 そうしてみんなで 伸びていくのだ。 

 いつも正しく まちがいのない、 
  答えをしなくちゃ ならんと思って、 
  そういうとこだと 思っているから、 
 まちがうことが こわくてこわくて、  
  手も上げないで 小さくなって、 
  黙りこくって 時間がすぎる。 

 しかたがないから 先生だけが、 
  勝手にしやべって 生徒はうわのそら。 
 それじゃあちっとも 伸びてはいけない。 
 神様でさえ まちがう世のなか。  
 まして これから 人間になろうと 
  している 僕らがまちがったって、 
  なにがおかしい。
 あたりまえじゃないか。 

 うつむき うつむき 
 そうっと上げた手、
 はじめて上げた手、 
 先生がさした。

 どきりと胸が大きく鳴って、 
  どぎっ どきっと 体が燃えて、 
  立ったとたんに 忘れてしまった。 
 なんだかぼそぼそ 
 しゃべったけれども、 
  なにを言ったか ちんぷんかんぷん。 
 私はことりと 座ってしまった。 
 体がすうっと 涼しくなって。 
  ああ言やあよかった。 
 こう言やあよかった。 
 あとでいいこと 浮かんでくるのに、 
 それでいいのだ。 

 いくどもいくども 
 おんなじことを くりかえすうちに、 
  それからだんだん どきりがやんで、 
  言いたいことが 言えてくるのだ。 

 はじめからうまいこと 
 言えるはずないんだ。 
 はじめから答えが 
 当たるはずないんだ。 

 なんどもなんども 
 言ってるうちに、 
  まちがううちに、 
  言いたいことの 半分くらいは、 
  どうやらこうやら 言えてくるのだ。 
  そうしてたまには 答えも当たる。 

 まちがいだらけの 僕らの教室 
 おそれちゃいけない。
 ワラッちゃいけない。 
 安心して 手を上げろ。
 安心して まがえや。 

 まちがったって ワラッたり、 
  ばかにしたり、 おこったり、 
  そんなものは おりゃあせん。 

 まちがったって 誰かがよ、 
  なおしてくれるし、 教えてくれる。 
 困ったときには 先生が、 
  ない知恵しぼって 教えるで。 
 そんな教室 作ろうやあ。 


 おまえへんだと 言われたって、 
  あんたちがうと 言われたって、 
  そう思うだから しょうがない。 
 だれかがかりにも ワラッたら、 
  まちがうことが なぜわるい。 
 まちがってること わかればよ、 
  人が言おうが 言うまいが、 
  おらあ自分で あらためる。 
 わからなけりゃ あそのかわり、 
  誰が言おうと こずこうと、 
  おらあ根性 曲げねえだ。 

 そんな教室 作ろうやあ」 



私は若い頃から長いこと、
国語教育研究部会の一員として参加し、
代表として研究発表もしていました。

「作文・作詩」を書かせて、
詩集や文集を作り、鑑賞させ合ったり、

「詩の暗唱」や「音読」を練習させ、
全員で群読させたり、
一人ひとりにテストをしたり、

そんなことが本当に大好きで
とても力を入れて取り組んでいたんですよ。


そして、
上にあげた蒔田晋時さんの詩は、
こんな学級を創りたいと 、
私は若い頃、よく子どもたちと声を合わせて
読み合った詩なんですよ。
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