こんにちは。
今回は「記憶」について書きます。
なにも、記憶のメカニズムとか、そのような難しい話ではありません。
昔話に花が咲くと
同級生の友人と昔話をすると、必ず他の同級生の話になります。
「〇○君は△△と呼ばれてた」とか「□□ちゃんにイジられた」というような、思い出話が次々と出てきます。
また、同級生共通の話となると、修学旅行、運動会、音楽会…話のネタは尽きることはありません。酒の肴に、昔話。つまみ以上の「つまみ」といえるでしょう。
だが、記憶については人によってさまざまで、また記憶にもズレがあります。
それは仕方がありません。同級生といえども、同じ時間に違う経験をしていることに加え、思い入れや成功体験の数等、記憶の違いに大きく影響しているのではないか、と思います。
その中で、誰に聞いても、私がいちばん昔の記憶が多いようです。
勉強法の本を書いているから、記憶力がいい、という訳ではありません。
勉強については、なかなか記憶ができなかったからこそ苦労し、意識的に記憶が定着できる勉強法を探した、というのが正直なところです。
では、なぜ昔の記憶が多いのか。
それは、「くだらない」ことばかり覚えている、からと思います。
「『くだらない』なんて、決めつけなくても」とお思いの方もいるでしょう。
いえいえ、ここでいう「くだらない」とは、無意識に、覚えるつもりがなくても覚えている記憶、という意味です。
つまり、覚えようとして覚えている訳ではなく、また、何かの役に立てるために覚えている訳でもない、ということです。
先ほどの、「〇○君は△△と呼ばれてた」とか「□□ちゃんにイジられた」という記憶は、覚えようと思ったことはありません。ただ覚えているから、そのまま話すのです。
中には、話を出してしまうことにより、本人が傷つくこともあるのでは、と思うような話があるので、うっかり話してしまうと危ないです(苦笑)。
酒席の場合、口を滑らせることがあるリスクを考えると、かえって覚えていない方がいいことだってあります。「沈黙は金」ということですね!
最近の記憶は
翻って、最近の記憶、といっても、昨日、一昨日はある程度覚えていますが、
特に社会人になってからの記憶が薄いのです。
成人になるまでの記憶は、○年生の時に〇○があった、というレベルまで話すことができるのですが、社会人になってからの記憶は曖昧なんです。
冷静に考えてみると、一言でいえば、毎年同じような過ごし方だった、というような感覚なんです。
それだけ、あまり充実していなかったのか…。
それもあるでしょうが(苦笑)、仕事に忙殺されていた、という感覚で余裕がなかったと思います。そして、いつの間にか年月が流れ、あっという間に20、30代が過ぎて行ってしまった…そのような感覚です。
回転寿司は、そのまま流れてしまっても、たとえ誰かに取られても、注文すれば(ネタやシャリがある限り)食べられます。
しかし、「人生」という時間は戻りません!!
思うに、「くだらない」記憶がたくさんあるということは、振り返ってみると、充実していた日々だったんだなと思います。
社会人人生はというと、もう少し余裕があれば楽しめたのかな。
ただ、本を出版し、本の販売やコラムを書いている今の人生は、とても楽しんでます!!
一度きりの人生、悔いなく生きたいものです。