「私」が与えるものを「私」が受け取る

記事
学び
新年あけまして
おめでとうございます。

今年も
どうぞよろしくお願い申し上げます。



「私」が
与えるものを
「私」が受け取る。

新年早々
いきなりですね。

唐突で
スミマセン…。

常々「私」は
どのような想念を
世界に放っているのか。

「お金が欲しい!」

そう放っている者が
圧倒的に
多いような
感じがしています…。

「お金が欲しい!」
…と考えていれば、

その手段となる行為に
多大な時間と労力を
掛けているだろうし、

高額投資さえも
厭わずに
与えることでしょう。

莫大な費用を掛けて
ホームページをリニューアルしたり、
集客に高額費用を
投資したりします。

たしかに
その効果を受けて

一時的に
売上は
上がるのかもしれない…。

しかし、
順調な状態は
そう長くは続かない。

するとまた、

「HPの改良改善や
集客に費用を
掛けなければいけない…!」
…と考えます。

このように
「私」の内面には
手を付けずに

外面的な体裁を整えて
その都度
外部を調整さえすれば
うまくいくようになる

…と考える他者は
まだまだ
多く存在するのではないか
…と感じます。

いくら外面を
幾度となく再調整しても
内面が
伴っていなければ、

外堀だけを
変えたとしても
すぐに
行き詰まり
壁にぶつかります。

壁となる障害は、

まるで外側から
やってきているかのように
みえますが、

本来
「私」の内側に
その因果がなければ、

障害となるような
事象は
やってはこないし、

因果がなければ
「私」にとっての
不都合など
起こりません。

壁にぶつかっても
その都度、

問題となる壁を
一つ一つ
超えていけるかどうか。
…なのですが。

生まれつきの
外見や容姿の
見た目が良くないから
「私」は
愛されないんだ…。

…と思い悩んで

ファッションやメイクを改善し
最終的には
整形まで施して

外堀を変えて
周囲から
愛されようとします。

たしかに
外見や見た目を変えれば、

自分に自信もついて
最初は
効果があるのかもしれませんが、

内面の伴わない
外見や見た目を
重視するような他者を
引き寄せることになりかねません。

その相手というのは、

内面よりも
外面の
見た目を最重視する「私」と
ぴったりエネルギー共鳴した
鏡の他者です。

そして
いずれは、

遅かれ早かれ
どちらかの
内面に抱えていた
因果が
表出して
問題が顕在化します。

取り掛かる順序は
外面からよりも
むしろ
内面からです。

いくら外面から
修正したとしても

内面が伴っていなければ
順調な状態は
そう長くは続かず、

いずれまた
内面から
新たな問題が噴出します。

いくら強力に
「お金欲しい!」エネルギーを
放っていても

「お金欲しい!」という
状況がやってくるだけ。

…ということに
すでに
多くの者が
気がついている事だし、

お金というのは、

必要とする
欲しいものを得る際に

「私」の必要を
提供してくれた他者に対して
感謝の気持として与える
交換ツールに過ぎない…。

でも
手持ちの所持金が
減るのを恐れ、

お金という
感謝の気持ちを
他者に
与えることができない者が
多く存在するから、

現在の世の中は
著しく
経済的循環が衰えています。

地球自体の
エネルギー振動数が上昇しており

内側の
振動の低いエネルギーが
留まり切れずに
湧き上がり
浮上します。

自分の
懐具合が乏しくなるのを
恐れるあまり、

他者に与えられずに
感謝を惜しんだり

企業も個人も
できるだけ
経済的損失を少なく
削ろうとします…汗

物質を
提供してくれる他者に
感謝のツールを
気持ちよく
与えられない者が

次第に
必要とする物質を
受け取れなくなっていく。

「与える」内容も
とても重要なのですが…。

「私」にとっての
必要なものを
提供してくれる他者たちに

感謝のエネルギーの象徴である
お金を惜しみ
与えることをやめれば、

ますます
受け取れなくなります。

そもそも
与えなければ
受け取れません。

「ありがとう!いつも助かってるよ。」
…という

喜びと感謝の気持ちを
相手に感じながら
支払うのと、

「…う。ホントは払いたくない。勿体ない。
しっかし…。高いよな…怒
原価はもっと安いはずだっ!怒」
…と感じながら、

イヤイヤ
仕方無しに支払う。

どちらも同じ
日常的に
幾度となく繰り返す
支払うという行為ですが、

「私」も「他者」も心地よくて
エネルギー振動数が上昇するのは
どちらでしょう…??

(同じ「与える」でも振動数がまるで違うと
ハイヤーセルフが伝えてくれました。)

いつも
ハイヤーセルフが伝えてくる内容
…というのは、

世の中の
他者が行う事とは
完全に
真逆の事ばかりです…。

自分だけが
世間から1人浮いて
はみ出すのを
恐れるあまりに

本当は
皆と違う意見を
感じていても

それを表現したり
他者の考えに背いてしまえば
孤立するリスクもあります…。

孤立を恐れていれば
圧倒的大多数派の
意見に賛同できていれば
とりあえずは
安全だと信じ込む…。

より多くの者が
そこに
集中しているのなら、

「これだけ人気が集中しているのなら
間違いない。安全だ。」

…と、
内側からとっさに
湧き上がる直感よりも

外側の状況を
より重視する。

どちらの在り方も
無意識を支配しているのは
恐れのエネルギーです。

今後も
これまでと
変わることなく

感謝のツールであるお金を
提供してくれる他者に
気持ちよく惜しみなく
与え続けます。

「私」の
手持ちの所持金が
豊かだろうと
乏しかろうと

提供してくれた他者には
関係ありません。

その金額が
「高額」だろうと
「低額」だろうと関係なく

「有料」だろうと
「無料」だろうと関係なく

私が欲しい
必要なものを
提供してくれて
「ありがとう」を
気持ちよく与える。

他者が与えてくれた
物質によって

いつも
こちらも助かり
便利さや快適さ
喜びや
豊かさを味わえています。

目の前の他者から

どうやって
利益を得ようか…?とか
考えたり、
相手から
もらおうと考えるのではなく

(そういう在り方も
アリなのかも知れませんが…汗)

私個人的には、
ただ喜びを
与え続けるのみです。

わざわざ
「受け取る」事に
フォーカスしなくても

日常的につねに
与えていれば、

受け取ることは
必然的に
起こります。

「与える」ことと
「受け取る」ことは
同じ1つのものだからです。

使っても使っても
必要なお金は入ってくる。

その事を
心から
信頼できない為に

感謝のツールである
お金を
提供してくれる他者に
差し出せずに
出し惜しみしてしまうのは、

無意識には
巨大な恐れが
はびこっているからなのでしょう…。

全体の95%という
強い影響力で

無意識が
「私」たちの人生を創造し、
支配しています。

「私」が与えるものが「喜び」なら
「私」が受け取るものは「喜び」

「私」が与えるものが「恐れ」なら
「私」が受け取るものは「恐れ」

「他者」に
与えているようで
じつは
「私」に与えています。

大切な「私」にすら
与える事を躊躇するならば
「他者」にも
与える事を躊躇します。

3次元では
「私」と「他者」は
分離しているように映りますが、

「私」も「他者」もなく
同じ1つのもの。

「損」も「得」もない。

3次元領域では、

「損」と「得」を分離して
「損」しないように
「得」だけしようとする。

「与える」と「受け取る」を分離して
「与える」ことよりも
「受け取る」ことだけに強く拘る。

「高額」と「低額」を分離して
「高額」を避けて
「低額」だけを選択する。

「有料」と「無料」を分離して
「有料」を排除して
「無料」だけを称賛する。

「豊かさ」と「貧しさ」を分離して
「豊かさ」をだけを追い求め
「貧しさ」を回避する。

「私」と「他者」を分離して
「私」だけを肯定して
「他者」を否定する。

両極の二元は
1つのものの
相対的な状態を現している
というだけで

分離して
切り離すことなどできないのに、

どちらか一方だけを望み
追い求め、
もう一方は
全力で回避しようとする。

一方の極を否定したり
避けたり
排除するならば、

もう一方の側面の
「得」「高額」「有料」「豊かさ」も
排除することになるので

結局、
「豊かさ」まで
受け取れなくなります。

「私」と「他者」は
同じ1つのもで

「他者」の
失敗や不幸を望んでいる以上は、

「私」にも
成功や幸せは
やっては来ません。

「私」が与えるものが
「私」が受け取るものであり、

「私」は「他者」でもある。

「私」と「他者」を分離して

「私」の願いだけを望み
「他者」の願いを
否定したり排除するなら

「私」の願いも排除され、
叶わなくなります。

無意識で
そう感じることは
いともアッサリ
あっけないですが、

エネルギーを
クリアに浄化するのは
膨大な
年月を必要とします…。

自身が与えたものは
1つ残らずに
否応なく
向き合わされます。

「他者」の幸福を祈り
叶えようとすることは、
「私」の幸福を祈り
叶えようとすることと
同一です。







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