恐れの正体は「他人軸」

記事
学び
こんにちは。
光の翼 ここみんです。

いつもブログをお読みくださり、
ありがとうございます♪


ようやく
たどり着いたかもしれない。

根源的な
恐れの塊に…。

分厚い
何層ものエネルギーを
一枚一枚剥ぎ取り
取り去っていくと

とうとう
根源の塊は
その姿を現した…。

塊は
ガチガチに
凝り固まっており、

じっくり根気よく
エネルギーを
流し続けていると

30分以上経過した頃に
ようやく
塊が溶解し始めた。

この恐れの塊に
向き合わずに
対処せずに

つねに
放置したまま
持ち続けてきたからこそ

どうしようも
為すすべのない状況を
繰り返し体験してきた。

結局は、
何度でも必ず
為すすべのない状況に
たどり着く…。

恐れから
逃げようとしても
決して
逃げ切れることはない。

何度でも毎回
必ず同じパターンに
舞い戻る。

ここを
癒やさない限り、

同じ繰り返しを
延々と
続けることになる。

見つけた以上は
このまま
放置するわけにはいかない…。

これまでは
いくつもの生に渡って

おそらく世間に
迷惑を掛けないように
最大の注意を払いながら、

関わる
多くの他者に合わせる
「他人軸」で
生きていたであろう私は、

言われるがままに
最後の一線を
他者に
譲っていたのだろう…。

他者から
要求されるがままに

なんとしてでも
金銭を用立て
与え続けてきたのかもしれない…。

本来は
そこまでしてまで
やらなくてもいい

…という
選択肢が
あるにも関わらず、

「絶対に、その選択をしてはならない。」
「それを選択する私は、悪だ。」

…という
信念があった。

「私」を苦しめ
追い詰める
この信念は、

集合的無意識に
強力なまでに
根付いている。

「やりたくないこと」をしてまで
「足りないもの」を

どうにか
足りるように
必死に補いながら、

恐れの根源に
直面しないように
目を背けながら、

現在も
大多数の者が
懸命に生きている。

今回、
集合無意識の
根源的な恐れを浄化し
解放できたなら

多くの者が
一向に
終わることのない
労働の苦痛を
垣間見るようになり

違う在り方に
シフトする者が
徐々に
増えていくのではないかと
推測している。

「悪」と捉えるのは、

その行為によって
損害を被る
…という認識を持つ

一方側の
正義に準じた言い分。

両者の
根底のベースとなる基盤は
どちら側も
「恐れ」だ。

その者たちからすれば、
「私」は悪なのだろう。

悪で結構。
好きなように
思ってくれればいい。

しかし
「私」を犠牲にして
粗末に扱ってまで、

相手の言い分に従う
選択をする必要はない。

起きていること自体に
善も悪もない。

宇宙は
つねに中立である。

現在の
「私」はもう

必要以上に
他者に屈して譲るような
弱い「私」ではなく

恐れに
正面から
向き合えるようになっている。

これまでは、

何をしでかすかわからない
とぐろを巻いた
毒ヘビのように思えていた
内側の恐れは

よくよく
観察してみると
単なる
ロープ紐のようなもの。

目を背ければ背けるほど、
恐れはパワーを
強めていく。

向き合えば向き合うほど、
恐れはパワーを
無くしていく。

この恐れの塊を
持ち続けていたから、

いつも恐れと
背中合わせの状況を
繰り返し
体験していたのか…。

だから、

つねに
恐れと切っても
切れないような
環境や状況に
身を置いていたのか…。

抱えている
恐れのエネルギーと
共鳴する
環境や状況を
引き寄せる。

これまで
恐れて
避けていた極を
受け入れ、

2元性が統合し
1元となった時に

ようやく
3次元領域から
離れることが出来る。

引き寄せている
環境や状況は、

「私」のエネルギーと
=(イコール)である。

カルマは、

過去の
「私」の弱点や才能を
引き継ぎながら、

「私」が蒔いたものを
「私」で刈り取る作業。

このために
誰もが、

今生も
生まれてきて
3次元領域を一から生き直し、
カルマを
精算しようとしている。

「私」たちの魂は、
カルマの出来事を体験して
解消しようと
何度でも転生する。

思い残した
未練や執着などの想念を
すべて
クリアにした時に

輪廻転生に
終わりを告げる。

カルマの出来事に
想念を残さなくなるまで
幾度も
転生し続ける。

ここで
他者の要求に従って

妥協して
「私」を殺しながら
「やりたくもないこと」を
選択していては、

同じ痛恨を
幾度となく
繰り返すカルマを
引き継ぐことになり、

恐れの塊を
溶かす機会(チャンス)を見失い
恐れのエネルギーを
浄化することなく
塊のまま
温存することになる。

自分を
犠牲にしてまで

恐れの塊に
触れないように
事なかれを
貫いていれば、

いつまでも永遠に
この状況を
脱することはない。

行く手が
喜びの状況だろうが
恐怖の状況だろうが

どちらであっても
関係なく
歩みを止めることなく
突き進む。

どちらだろうと
かまわず
恐怖の渦の中に
飛び込んでいかなければ、

その状況を
突破することは
永遠にない。

恐怖を
避けるでもなく

危機が見えた途端に
Uターンして
引き返すでもなく

敢えて
向き合い
恐怖を直に体験する。


恐れが湧き上がる
危機が起こる。
他の手段を探し出し
危機の体験自体を回避する
恐れのエネルギー温存。

恐れを
持ち続けることになるので、

来世はまた
2元が分離した
3次元からやり直し。

ここで
危機を避けて
引き返したり…の
危機回避を選択すると

いつまでも
同じ事の
繰り返しになる。

深い後悔や執着を残し、
「次の転生こそは、絶対にクリアする!」
…と、
また生まれてこようとする。

恐れを
感じたとしても

状況に対して
感じていることは
どうしようもなく

感情は自動で
沸き起こるので、

「私」たちが
できることは

その感情を体感して
恐れの状況を
体験しつくせばいい。

恐れから逃げずに
体験し尽くせば
カルマエネルギーは消滅する。

恐れの塊は溶け去り、
解放に向かう。

2元の領域の
絶望と至福はセット。

絶望は
至福に変わる。

負の感情や
恐怖の状況を避けて
回避しようとする行為が、
苦しみを繰り返す原因。

感情には
善いも悪いも無いので
そのまま
体験してしまえばいい。

いよいよ、
蒔いたものを刈り取る段階に
突入した…汗

昨晩、
ハイヤーセルフからも
その合図があった…。

初めて
足を踏み入れる
未知の段階…。

「よし!
ここを体験しないと
状況から
逃げていても
一向に進まないから、
どんな状況でも受けて立つ。」

しかし、

早朝の
ワンコ散歩中に突然
インスピレーションが湧いて

過去にたまたま
他の目的のために
偶然に
購入していたグッズによって

まったく支障なく
カルマの
刈り取りの時期を
無難に
越せることに気がついた…!


人間は
善悪でジャッジするが、

宇宙は
どんな状況を
体験することも
あるがまま許している。

どんな状況の最中にいても

「私」という存在の
価値が
損なわれることはない。
















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