許せなかったら怒ろう。

記事
コラム
吾峠呼世晴さま。
また勝手に拝借したことをお許しください。

押しは何てったって炭治郎なのだが
富岡義勇のこの言葉の破壊力は半端ない。

例えば誰かに裏切られた時
その相手に対し持っている
好意と信用の度合いが大きければ大きいほど
人の心は傷つき、立ち直れないほどの痛みを抱える。
その痛みは
やがて自分の心と体をむしばみ
生きていく気力まで喪失させてしまう。

とても恐ろしいことだ。

もし傷ついても
すぐに怒りを感じたり
また、許すことが出来る場合は
心の傷は浅くて済む。
特に「許す」という寛大な行為は
人間的な大きさに例えられたりするので美談にもなる。

でも「許せる」ということは
実は、自分の中で折り合いがつく状態になったことで
初めて出来る行為だ。
折り合いのつけ方は個々それぞれだが
基本的には
裏切られた事柄自体が解決した場合
裏切った相手のことを思ったより重要視していなかった場合
その代用品となりえるものがある場合
この辺りだろうと思う。

それらが全くない状態では
折り合いをつけることは難しい。

だからこそ、怒りに変えよう。
手足を動かす原動力にするために。

もし
自分一人では無理そうだったら
連絡ください。

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