vol.12 愛犬たちの旅立ち

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6月の初めに、私の愛犬が亡くなりました。以前ブログにも書きましたが、去年の年末にも別の愛犬が亡くなっています。その時も、気が狂うかと思うくらい悲しく辛かったですが、今回はそれ以上でした。そこでやっと、1匹目が亡くなった時は、もう1匹に支えられていたのだと気付きました。

今日は、当時から今日までの気持ちの変化を振り返りながらここに書きたいと思います。それは、自分の気持ちの整理のため、区切りをつけるためというのと、同じように愛する動物さんを失って悲しい気持ちを抱えている方へ、少しでも気持ちが落ち着く助けになれば、と思ったからです。当時の日記も参考にしながら、自分がどんなだったかを振り返ってみたいと思います。

はじめに。私には2匹犬がいました。柴犬の美穂と、ピットブルMIXのリリーです。2009年、私の誕生日プレゼントは美穂でした。その約半年後、保護犬ボランティアを通じてリリーがうちにやってきました。それを思い出すと、美穂とリリー、それぞれが私と14年ずつ一緒にいてくれたのだなあと思います。

美穂が亡くなったのが去年の年末年始で、仕事納めの日でした。美穂はその1年くらい前からしっぽが下がり始め、お腹を壊すことが増え、少しずつ痩せていきました。色んな検査をしましたが、異常なし。。今思えば、老化現象の一つだったのでしょうが、私はいつも深刻な病気を心配していました(色んな検査をさせて本当に申し訳なかった)。亡くなる半年前くらいから、認知症も見られるようになっていました(でも、それも含めてすごくかわいかった)。私は周りの犬友達さんの情報で、きっと介護は1年以上になるだろう、と勝手に予測して、仕事も家でできるよう調整を始めていました。そんな時に美穂の症状がいっきに進み、ある朝、初めてごはんを拒否しました。私は嫌な予感がして仕事納めの日は早退をしました。母が来てくれたので、夕方とりあえずお散歩へ行こうということになり、母にリリーのリードを持ってもらい、私は美穂を抱っこして、いつものお散歩コースを歩いている時、途中で美穂におしっこをさせようと草むらの近くに下ろした時に、美穂が亡くなっていることに気付いたのです。家を出る時は生きていたので、本当にお散歩の途中に逝ってしまったのでしょう。母は、美穂は幸せだねと言ってくれましたが、私は介護は始まったばかりで、まだまだ一緒にいられると最後まで希望を持とうとしていたので、ショックがとても大きかったです。

そのあと数日休みだったのが幸いでした。夜になるとリリーにすぐ隣に来てもらって、本を読んだり泣いたりして過ごしました。そして、年が明けて仕事が始まるとすぐコロナに感染しました。今思えば、心身ともにかなり弱っていたのだと思います。長い正月休みだなあと思いながら過ごした覚えがあります。

それから。リリーと散歩へ行くときに、すごく大きな忘れ物をしたまま歩いているような、違和感のようなものを感じながら歩いていました。そして、リリーが少しずつしぼんでいく感じがしていました。春になり、リリーがドライフードを残すようになりました。味に飽きてしまったのかと思い、ウェットフードを混ぜてあげたり、お米のご飯を混ぜたり、色々工夫して食べさせるようになりました。昨日食べたものを今日は食べなかったり・・・。ホームセンターへ行って、色んなご飯やおやつを、今まで食べさせたこともないジャンクなものも含めて買いこんできたこともあります。

とうとうリリーが食べるのを完全に拒否して1週間後、ある朝リリーは私をベッドの傍らに呼んでくれて、そしてあっという間に逝ってしまいました。
私は、自分がリリーの身体に執着してしまうのが怖かったので、その日のうちに霊園へ連れて行きました。それでも、別れがたくて、こんなに早く身体にもさよならを言わなければいけないのかと(自分で決めたくせに)、後悔したり、納得しようとしたりしました。霊園から家に帰ってきた時、部屋がものすごく広く感じたのを覚えています。身体にもぽっかり大きな穴が空いてしまったかのようで、脳がうまく機能しないような、フラフラとなんとなく近くの椅子に座ると、ぼーっとしたまま動けなくなったりしました。

半年足らずの間に愛犬が2匹立て続けに天国へ戻って行ってしまいました。
喪失感、虚無感、孤独感がものすごくて、身体のどこかが痛いわけでも、疲れているわけでもないのに、とにかく辛かったです。
すごく覚えているのが、リリーが亡くなった日の夜、夕飯を食べながらケータイで保護犬の里親募集サイトをチェックしたことです。寂しすぎて、ちょっとおかしくなっていたのだなあと思います。

翌日の日記には「目標:健康的に生きる」と書いてある下の方に、「私は大丈夫じゃない。どうしたらいいのか、何をしたらいいのかわからない。動揺して、混乱している。悲しい。何をしたらいいのかわからない」と書いてありました。
(ちなみにこの頃、私は子宮筋腫の手術後で自宅療養中でした)
その2日後の日記には、「空っぽな感じがする。何も考えられない。食べたいものもない。美味しく感じない。したいこともない。身体も動かない。誰にも会いたくない。時々叫びたくなる。とにかく辛い。なんでかわからず辛くて何も考えられない。会いたいと思うだけで涙が出てくる。3人でいた時を奇跡に感じる」と書いてありました。
この頃、扁桃腺にでっかい口内炎ができました(水を飲むだけで激痛。。)。これは、私が免疫力が落ち、風邪をひいている状態を表します。3年おきくらいになりますが、この時も心身ともにかなり弱っていたのだと思います。しばらくは、思い出を掘り起こして色々な様々なことを後悔していた気がします。気が滅入るようでしたが、それがやめられませんでした。色んな感情が目まぐるしく頭の中を駆け巡っているようでした。

少し冷静になれたときには、アニマルコミュニケーションでお話した天国組の動物さんからもらった言葉を思い出したり、「犬は人間より寿命が短いのだから仕方のないことだ」と自分に言い聞かせたりしました。また一方で、「なぜ自分はこの出来事をなかなか乗り越えられないのだろう、もっと早く気持ちを整理できるはず」と焦る気持ちも抱えていました。

朝、目が覚めてベッドから起き上がる時に「ああ、犬達はいないんだ」と思いました。それが最近は、「今日も見守っていてね」に変わりました。リリーがいなくなって2か月経って、やっとそのように考えられるようになりました。永遠に続くと思った悲しみや辛さは、いつの間にか和らいでいたのだなあと思います。まだ完全には乗り越えられていませんが、でも、だいぶ良くなりました。やっぱり時間薬が一番なのかなあ、と思います。

まだ ”その時” ではない、と思っていますが、いつかはまた犬と暮らしたいです。天国への旅立ちを見送ることは本当に辛いですが、一緒に暮らしていた時の毎日の幸福感、充実感、犬の愛情に包まれるなんとも言えない満たされる気持ちが忘れられません。あとはあの柔らかいふかふかの温かい身体をまた抱きしめたいです。
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