あの頃(1985年)いま(2018年)

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【6回シリーズのスタートです】
ひとつ学年が下の彩(あや)と交際して3か月程になっていた。
僕が住む町の駅には改札を出ると電話ボックスがあった。家の固定電話を使うと親がうるさいので彩との電話はここを使うことが多かった。
電話ボックスには冬季間を除き必ずと言っても良いほど蜘蛛の巣が張ってあり、ときには大きな蜘蛛がいることもあった。蜘蛛が嫌いな僕は、駅の脇に立てかけられているホーキを持ってきて蜘蛛の巣を取除き蜘蛛がいないかを確認するようにしていた。
公衆電話のプッシュ番号を押すと大抵は彩が出るのだが、時には母親が怪訝そうに出ることもあった。僕は彩の親御さんに受け入れられているわけではないと理解していた。いつも電話をする時間が夜11時を過ぎているのだから呆れられても仕方ないと自覚していた。
部活動を終えて部員の家にたむろしてから終電に乗り込むのが10時。1時間程、電車に揺られ終点で目を覚ますという毎日だった。
彩との会話で記憶していることは少ないが、あのときの出来事は今でも鮮明に覚えている。
電話ボックスに入り、いつものように彩と話していたときに背中側のガラス製の壁で音が弾けた。振り返ると壁を赤い液体が覆っていた。驚いて電話ボックスの外に出ると地元の後輩たちが笑いながら言った。「先輩、遅くまでご苦労様です」
後輩が、先輩に対してこういう行為をするということは、彼らには僕に対するリスペクトがなかったのだと思う。仲が良くて僕に構って欲しいとしても、先輩に対する振舞いとして許すことはできない。そんなことを一瞬のうちに考える余裕はなかった。僕の体は条件反射のように踊っていた。
数人の後輩を相手に立ち向かっていき、手にしていたホーキで足を払い、胸ぐらに掴みかかり、大将格の後輩を横倒しにして馬乗りになり殴っていた。他の後輩たちが僕の後ろから止めに入っていたのだと思うが何も耳に入らない。頭に血が上ってしまった僕は自制することができなかった。
この暴力時間が引き金となり、彩の親御さんが娘との交際を止めるよう僕の親の元に怒鳴り込んできた。それ以降、彩の声を聞くことができなくなった。
僕らが若い頃、携帯電話やポケベルはなかった。それを恨んでも仕方がないことだ。
鉄道は廃線となり電話ボックスは町から消えた。それでも彩への思いは心から離れていなかった。

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