猫派にはなれない

記事
ライフスタイル
9月20日のブログで私は犬派であることを書きました。
今日は猫に対する思いを書こうと思います。
子どもの頃の読み聞かせで、十二支に猫がいない理由を教えられた記憶があります。
神様が動物たちに競走を案内します。その競走でネズミは牛の頭に乗り、ゴール手前で牛から降りて1位になった。そして牛が2位。猫はネズミから競走の日を1日後と教えられスタートが遅れてしまい十二支にいない。それで猫はネズミを怒っていて今でもイジメる。そんな話だったと記憶しています。
私の家では50年程前に鶏を飼っていました。当時、鶏を飼っている家は周りでも見かけました。鶏のお陰もあり私は毎日、生卵を食べることができました。
あるとき鶏の檻の前で猫が網をガサガサと擦っていることがありました。その光景を窓から見た私は外へ出ていき棒を持って猫を追い払いました。
ある日、保育所から帰宅した私に祖母が言いました。鶏が猫に殺られた。私は発狂に近い程の怒りを感じ、猫を探しに外に出ましたが猫は利口でなかなか顔を出しません。それから猫が憎らしい存在となり、見かけると石を投げたり水をかけたりイジメるようになりました。
成人なってから、仲良くなった女の子の家に遊びにいったときに猫を飼っていたことがありました。彼女の手前、猫じゃらしなどを使って遊んであげるよう気を配りました。あるとき部屋に異臭がしました。猫がオナラをしたのです。部屋の雰囲気はオナラの原因は私という感じでした。私じゃないと言っているのに彼女は怪訝な顔をしています。やってられません。というか、やってません。
彼女とは、それきりになりました。猫に二人の仲を裂かれた格好です。こうして猫のいる家には入りたくないという人格ができあがりました。
今でも猫がネズミを怒っているように、私は猫を怒っているのです。器が小さいですかね。そうでもありませんよ。何度も犬に噛まれた経験がありますが、それでも私は犬派です。広い心の持ち主です。(自分で言うなぁ)

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す