親は親の人生を生きるだけ、子どもの人生を生きない

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コラム
この記事は、富山市内小中学校に配布中の「ドリスポVOL2」に連載している「トンビの子中学受検する」より特別に転載しています。

中学受検の終わりを待ちわびている人はダレ?

 塾なし中学受検(※公立中高一貫校では受験ではなく、受検と表記します。)という無謀な挑戦を決断したのが5年前のこと。夫婦と子どもの三人四脚で難問問題集と格闘する日々。やめなかった努力とありったけの運も引き寄せて、合格をつかみ取りました。

 受検勉強を振り返ると、「とてもしんどかった」という記憶が真っ先によみがえります。ただ、しんどくても期間限定だから頑張れたのだと思います。とはいえ、合格したからといってそこで終わるのは「中学受検」だけです。我が子の場合は、高校受験がないだけで大学受験・就職活動・資格試験・昇進試験など、彼の人生の延長線上にはたくさんの試験や試練が待ち構えています。

 一方当時の私たち夫婦は、中学受検を終え一区切りついてホッとしていました。「早く終わってくれ、添削を気にせず、晩酌をしたいんだ」そんなことをよく考えていたと思います。このスタンス、身勝手だけど子どもの進路に関わる理想のカタチなのでは、と改めて感じています。

中学受検の結果は子どものもの

 受検勉強のメインプレイヤーは子どもです。僕たち夫婦はサブプレイヤーです。わが家は「塾なし受検」というチャレンジ精神あふれる亜流スタイル。記念受検というわけでもなく、受けるからには合格を目標に据えてきました。でも、それは建前で僕たち夫婦の本音としては「合格しようが不合格であろうが、どっちでもいい」というものでした。

 落ちたら落ちたで高校受験で好きな学校を受ければいいし、なりたい仕事があればそのために適した進路が見つかるだろう、それが大学なら大学に行けばいい、ぐらいの気持ちです。なので、中学受検は通過点であることは間違いないのです。だってそもそも「合格・不合格の結果はどっちでもいい」というスタンスなのだから。

 この考えは、受検の結果は誰のものか、をはっきりさせておかないと導き出せないと思うのです。受検の結果に限らず、子どもの人生の選択と結果は「子ども自身のもの」なのです。サブプレイヤーである親も喜び悲しみを味わう一員ですが、当事者はあくまでも子ども。そう考えることが、子育て全般に通じる親子のちょうどいい距離感だと思います。

受検が親子の距離感を教えてくれた

 受検勉強が私たち親子に教えてくれたものは数えきれません。それは、この苦しい2年間を頑張ってきた「ご褒美」のようなものでした。この数あるご褒美のなかでもひときわ学び深かったのが、親子の距離感です。

 我が子も5年生にもなると自立心が芽生え始め、自我が強く形成されてきました。すると、次第にこれまでの親子関係の在り方を修正するどころか、進化・変化しないといけなくなってきたのです。いわゆる反抗期の到来です。反抗期というのは、親の言動に「反対して・抗う・期間」という意味かと。なんとも親が正しいという前提の言葉ですね。反抗期こそ親が「反省して・考える・期間」=反考期とせねばならないと感じます。難しいんですけどね、本当に。

 中学受検期の5~6年生の頃、反抗期真っ盛りでケンカ・暴言が絶えない日々がありました。子どもには子どものペースがあり、親の歩幅やスピード感とは相容れないことがあります。そうわかっていても、親が子どもの目線になることは難しいことです。「早く、●●しなさい」このフレーズが口癖になっていた頃は、親子関係は最悪でした。 
 そこで子どもの時間や行動、思考をコントロールしようとするのではなく、ひとりの人間として関係を作ることを心がけました。要望を伝えるときは、他人と同様に言い方・タイミング・態度・表情と理由を。「早く、お風呂に入りなさい」ではなく「次早めにお風呂入ってね、お湯が冷めるから」と「要望+理由」のカタチです。それでも「ウザイ」なんてことは、言われます。大切なことはそこで、反論しちゃいけないってことなのです。それにしても、子どもってなかなかお風呂に入りませんよねぇ。困ったもんです。

子どもの人生を生きない、ということ

 この「要望+理由」を会話の基本にしていくうちに、「どうしてできないの?」「遊んでていいの?」「解きなおしたら?」「読書しなさい」といったことは言わなくなりました。こうした親の勝手な要望は、正当な理由で説明することができないのです。親子三人四脚で挑んだ受検は、息子がリーダーとなって「イッチ・ニー」の掛け声を発するようなもの。彼が事前に決めた順番で、親も一緒に足を出すだけです。テンポのいい掛け声が大切なのに、「どうしてできないの?」なんて親のエゴ言葉で合いの手を入れたら、途端にリズムが狂って転倒します。

 「関わりすぎず、関わらなさすぎず」このちょうどいい距離感を中学受検で学べたことは、我々家族にとって幸運でした。彼の目の前に立ちはだかる壁は、いつだって彼のモノなのです。12歳という比較的早い時期に子どもとの距離感を掴みなおしたことで、親子関係を良好に変えられたと思います。

「親は親の人生を生きるだけ、子どもの人生を生きない」

これが私たち夫婦が中学受検を通じて手に入れた「ご褒美」です。我が子との関わりは、彼が大人になっても続きます。彼が試練に立ち向かうとき、この「ご褒美」を思い出しながら、適度な距離感でサポートしたいと思います。わが家は中学受検を通じて「ご褒美」に出会えましたが、実は日常のいたるところに隠れているものです。子どもとの向き合い方に悩み始めたときこそ、出会えるチャンスなのだと思うのです。
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