#36 日々、耳を傾ける ~ “見守る” ってことは “信じる” ってことなんだな。。。~
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おはようございます。
はるつぐ(はるコーチ)です♪^^
一昨日、“信じる”ってことについて書きました。
“信じる”ってことには、根拠は要らない。
というか、
根拠はあったらオカシイ。
根拠があったら、それは “信じる” ではなく
それは “理解” に変貌するのではないか、
と書きました。
もう一つ、ついでに、
“信じる” つながりで、“見守る” ってことについて書きたい。
思うんです。
“見守る” ってことは、“信じる” ってこととセットなんだな、と。
親が子供のことを “見守る”
よく、このように言うけど、
具体的には、どういうことか?
自分の例でシミュレートしてみる。
息子の成績が悪かったりする。
試験で0点だったとか想像してみる。
そうですね。。。
ナンボなんでも、
ヒトコト言いたくなる。
(というか、言ってるよな~^^;)
ここで
「お前、何やってんの?」
と、詰めてしまったら、
彼は自分のことを “信じてもらっていない” と感じる。
逆に、
「そうか。0点なんだ。で、どう感じてる?」
くらいの “問い” だったら、
詰めた感じにならないか?
「0点?そうなんだ。でも、君は大丈夫」
と言えたら、なお良いだろうか?
「なにやってんの?」は、
彼のことを信じていない。
『今まで何やってきたの?これからも言われないとやらないの?』
と、そういう思いが内にある。
信じてない。
「そうか」「大丈夫」は、
彼のことを信じている。
信じられた方は、、、
「信じてもらえた」
と、勇気を持ってもらえる。。
(→自ら勉強し始める)
だったら、良いよね。^^;
そうそう上手くはいかない。
それは、分かっている。
でも、
“信じてもらえなかった” 人
と
“信じてもらえた” 人
では、
持てる “勇気” が違うんじゃないだろうか?
どの道、自分の人生、自分で歩くしかない。
うまくいかないことも、
自分の才能のなさに自信を失うこともある。
だけど、
“信じてもらっている”
“信じてもらった”
事実があるなら、
人は、自分で歩み出す勇気を持つことが出きるのではないだろうか?
“信じる”
根拠はない。
だが、人に “勇気” を与えるのに、
これ以上の方法はあるだろうか?
親が子に
上司が部下に
コーチがクライアントに
そうだな。
コーチングって、結局は、“見守る”ことなんじゃないか?
今日も耳を傾けていく。